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3章 マーチンギターの特徴
マーチンギターの構造的な変遷を順次掲載してまいります。
■ ラベルと商標、デカール

初期のアメリカでつくられたマーチンギターは、サウンドホールの中、バックに紙のラベルが貼られています。この頃はChristian Frederick Martinとフルネームで書かれていたのですが、Schatz、Coupa、Brunoなど共同経営者がいた頃から、C.F. Martinという記載に変ります。

Martinという商標は、紙のラベルの頃から使っていたのですが、通常は、次の3箇所に刻印が見られます。1)バック中央のブレイシング 2)ネックのブロック 3)ヘッドの裏側。
3)の刻印は、バックの表面、ネックのヒール部分がボディに接続している箇所にある場合もあります。

1830年代から1867年まで、最初の商標には“C.F.Martin,New York”と記載されていましたが、C.F.Martin,JrとC.F.Hartmanが共同経営になって“C.F.Martin&Co.,New York”に変ります。その後、1898年に“C.F.Martin&Co.,Nazareth,Pa”となり、同時にシリアルナンバーも記載されるようになります。

現在でも使われている“C.F.Martin&Co.,Est.1833”というデカールは1932年半ばに導入され、1933年モデルから採用されています。デカールは通常、ヘッドの表側に表示されていますが、いくつかのクラシックギターには裏側に表示されているものもあります。また、導入初期には、ヘッドの表にデカール、裏には商標があるギターもあります。
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■ ブイレイシング

C.F.Martin,Sr.が1850年頃にギターのトップ裏側に“X”ブレイシングシステムを開発したとき、吊橋のように小さな山と谷のある形をしていました。この形状は、今ではスキャロップドブレイシングと呼ばれていますが、1940年代になって太い弦が使用されるようになり、ブレイシングの強度が必要となり、廃止されます。

スキャロップがいつまで採用されていたのかは、公式の記録がないのですが、1944年製の#89926(シリアルナンバー)から廃止になったと言われています。ただ、その後も何本かのギターで使われていたようです。

スキャロップドブレイシングにすることによってより大きな音が出るということが次第に知られるようになり、廃止以降も復活の要求が高まっていたのですが、70年代半ばには細い弦の使用が普通になったため、1976年のHD-28(ヘリンボーン)で復活します。その後、D-35、Mシリーズ、JumboMシリーズでスキャロップが採用され、D-41(#475216から)やD-45(#467626から)にも広がりを見せます。

Xブレイシングのクロスする位置については、初期のDサイズギターはサウンドホールから1インチ、ブリッジに寄ったところにあるのですが、後のギターではよりサウンドホールから遠くなっているということをFloyd Turnerという人が注目しました。この変化は記録にないため正確な時期はわからないのですが、1938年初期のD-28(#69667〜78)では1インチのところにあり、1940年初期(#74099〜110)になると遠くなっています。1インチのところでクロスするフォーワードシテッドとよばれるブレイシングは、最近ではスペシャルエディションやカスタムギターのオプションとして採用することがあります。C.F.Martin,Vの記憶によると、このクロス位置の変化は、スキャロップドブレイシングの制限同様に、ヘビーゲージ弦の使用に対応するために行ったものだそうです。

ブリッジプレイト(ブリッジ補強のために表板の裏側に貼る板)は、最初はメイプルだったものが、1968年(#235586)にローズウッドに変更となるのですが、76年のHD-28でスキャロップのギターにメイプルが使われるようになり、1988年(#478093〜)にはすべてのギターでメイプルに戻ります。
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■ ブリッジ

最初のマーチンのブリッジはシュタウファーのコピーだったと思われます。長くて薄いデザインで、両端に装飾があるものもあります。このタイプのブリッジのサドルには、針金状のフレットがよく使われています。

他の初期のブリッジとして、もう少し短く、真ん中の下に装飾があるものがあります。このブリッジは象牙で出来ているものが多くみられます。

その後、ブリッジは長方形に変ります。大きなギターには幅1インチ、長さ6インチのものが使われ、小さなギターには少し小さなサイズが使われていました。このブリッジの多くは左右にピラミッド状の装飾が施されています。

1929年頃、現在の形である“ベリーブリッジ”に変更となります。このブリッジが採用されたときにはブリッジの厚い部分を突き通すタイプのロングサドルだったのですが、1965年(#206601)から埋め込みタイプのショートサドルに変更となります。

1966年には、ピンの位置が1/16インチ、ブリッジの中央に移動します。

また、ブリッジピンの使用がスチール弦の普及によって始まったといわれることがありますが、実際にはマーチンギターではピンを使用するブリッジが標準であり、ループタイプのクラシックブリッジは、クラシックギターであるGシリーズの導入に伴い、1936年頃に使われただけです。

ベリーブリッジ(ロングサドル)
  
ベリーブリッジ(ショートサドル)
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■ ドレッドノート

最近ではドレッドノートの人気が高いのですが、最初は、人前でフォークソングを演奏することもなく、ギターを使う歌手自体が少なかったせいもあって、受け入れられなかったようです。
その頃は、重い低音を出す大きなギターよりも、バランスのとれた明るい高音となめらかな低音が好まれていました。

トレッドノートは、ニューヨークにあった代表的な楽器店であるチャールズHディットソン社でギター部門の責任者をやっていたハリー・ハント氏の提案で、Frank Henry Martinが製作した3種類のギターのひとつです。現在のSシリーズのように、12フレットネックと長いボディサイズを持つギターで、“ディットソン・スバニッシュモデル”と呼ばれていました。

1920年代後半にディットソン社が廃業し、シリーズ最大のギターであるドレッドノートはマーチンの基本デザインとなっていきます。

1931年頃、マーチンは自分の工場でドレッドノートの試作を始めます。最初にD-1(2台)とD-2(7台)を作るのですが、D-1はD-18、D-2はヘリンボーンD-28の原型となります。

1930年代は恐慌の影響が色濃い時代で、プロの演奏家は「何か新しいもの」を探し求めていました。最初、ドレッドノートはディットソンのギターの頃と同様に12フレットネックと長いボディサイズだったのですが、1929年頃のOM(Orchestra Model)で14フレットネックが最初に登場し、1934年頃にはドレッドノートも14フレットになります。一部では、12フレットで大きなボディサイズのギターが持つ魅力が認識されていたものの、一般的には14フレットモデルがドレッドノートの主流となり、やがて12フレットモデルは姿を消します。

最初にマーチンに12フレット・ドレッドノートの復刻版を注文したのは、ボストンに住むE.U.Wurlitzer氏で、1954年のことです。そして、1962年頃にD-28SW(Special Wurlitzer)モデルとしてとして登場します。1967年になると、12フレットがレギュラーモデルとなり、D-18S、D-28S、D-35Sの製造が始まります。なお、このSという文字は“Special”の略で、、ピックガードやネックの幅、指板のインレイなどが標準仕様と違うことを意味しているのですが、特定の仕様を指して使われたものではありません。

しばらくして、D-21が発売となり、1955年(#145604)から1969年(#254522)まで販売されます。D-21はD-28と基本的に同じ構造を持ち、トリムだけが簡易化された優れたモデルだったのですが、少しお金を足せばD-28の白いバインディングとエボニーの指板とブリッジが手に入ったものですから、最終的に製造ラインから外れることになります。

1960年代までは初期のヘリンボーンやパールインレイのドレッドノートを探す人は少なかったのですが、その後、そういうギターの需要が供給を上回るようになります。マーチン社も要求に応えるために1968年にD-45を再生産し、ヘリンボーンのD-28も1976年にHD-28として再生産を始めます。また、HD-28は、近年のモデルとしては最初にスキャロップブレイシングを採用したモデルです。
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■ 塗装

1900年以前のマーチンギターの大半はフレンチポリッシュ塗装を行っており、1920年頃にかけては、薄いシェラックが使われています。また、1919年から1922年にかけては、セラック塗装をオイルサンディングでつやを消したセミグロス塗装もされています。

1923年頃にはサテン塗装も使われます。これは、セラック塗装を基本にして、ボディだけをニスでコーティングしてつや出しをしているものです。1926年には、0-17Hというハワイアンギターを契機に、ラッカーが使われるようになり、1929年までにラッカー塗装が主流になります。その後も、ニトロセルロースラッカーが使われています。
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■ フレット

最初は、フレットに針金状のワイヤーを使っていましたが、この素材は厚みがあり、指板に差し込むために切れ込みを大きくする必要がありました。現在使われているT字状のフレットは、1934年に00-17で最初に使用され、同時にネックのロッド(補強バー)も“T”バーが使われます。その後、T字状のフレットが標準となります。
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■ スタイル45のヘッドストック(化粧板)

スタイル45のヘッドストックに化粧板が使われ始めたのは、1902年の試作品からです。大変複雑な“つた”の模様で、1904年のカタログだけに見られるものです。まもなく、この模様は“フラワーポット”や“トーチ”のインレイに変ります。インレイの細部のパターンはOM-45で変化があるのですが、実際には、インレイの細部のパターンは年によって異なることが多いようです。

その後、1930年代初期にインレイデザインの大きな変更があります。それは、今でも使われている“C.F.Martin”という文字をパールインレイでデザインするものですが、1931年のC-2とC-3(カーブドトップ)に最初に使われました。

フラットトップのスタイル45にいつから使われているのかは、正確な記録がないのですが、1933年のGene AutryのD-45には“フラワーポット”が使われ、1934年のJackie MooreのD-45には“C.F.Martin”のインレイが使われています。
また、OM-45にソリッドタイプのヘッドストックが使われたのと同時期にフラワーポットのパターンが無くなったのは、ほぼ間違いないと言われています。
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■ ヘリンボーン

「ヘリンボーン」、これは古いマーチンギターを語るときに、最も頻繁に出てくる単語かもしれません。
ヘリンボーンというのは、1900年以前から1940年代まで、スタイル28のギターの表板を縁取るバインディングの内側にある模様を指します。模様の大きさは年代によって若干異なるのですが、基本的なパターンは同じです。スタイル21のギターでは、サウンドホールの周囲やバックのセンターに使われたこともあります。

このヘリンボーンという素材の使われ方については、よく誤解されている場合があります。それは、マーチンではヘリンボーンがあるギターとないギターという、2種類のスタイル28のギターを並行して作っていたというものです。実際には、この細工はサイズに関係なく、1946年に廃止になるまで、すべてのスタイル28に施されているものです。

最初は、マーチンギターに使われるすべての細工はヨーロッパから取り寄せていました。ドイツ人は、寄木細工や木で彩るインレイのデザインや加工、真珠貝の細工技術などに優れた技術を持っていたのですが、供給の問題でデザインの変更を余儀なくされます。

寄木細工はアメリカ国内でも(ドイツ人によって)長年作られていたのですが、零細企業のために人手不足となることが多く、満足できる品質が維持されないため、マーチンでもヘリンボーンの廃止を決めます。

その頃までに、プラスチックがいろんなところで使えるまで品質が向上していましたので、#98233から、すべてのスタイル28のギターで、ヘリンボーンの代わりに、白と黒の縁取りに変更します。ただし、変更時期に作られたギターでは、ヘリンボーンと白黒ラインが混ざって作られており、正確な台数の区別はされていません。

1970年代も中盤になると、ヘリンボーンを施したギターに対する要求が高まったため、“ヘリンボーンD-28”をレギュラーラインに登場させます。今では、白黒ライン模様の通常のD-28と区別するために、HD-28と呼ばれています。その後、HD-35をはじめとして、いろんなモデルや復刻版、カスタムギターなどでヘリンボーンが使われており、建国200年記念限定モデルであるD-76にも使われています。
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■ 象牙

1918年4月1日まで、白のバインディングやインレイには本物の象牙が使われていました。その後、加工のしやすさと丈夫さから、象牙色のプラスチック素材に変ります。その人口素材にはいくつか名前(商標)があるのですが、代表的なものとして、セルロイド、アイボロイド、ファイバーロイドがあります。

かつては、スタイル34以上のギターでは、ブリッジにも象牙が使われていましたが、バインディングが人口素材に変るのとほぼ同時期(カタログ上の仕様では1919年)に、エボニーブリッジに変ります。象牙は、その後もサドルとナットでは使われていますが、品不足の折には人口の素材も使われています。また、1961年までは、安価なギターではエボニーのナットも見られます。

1973年9月19日から、いくつかのモデルでプラスチックのナットが使用されます。1975年には、D-35未満のギターでミカルタのナットが使われるのですが、D-35でも#370976からミカルタになります。ミカルタのサドルは#370776から使われています。また、D-45の場合、最後に象牙のナットが使われたのは1980年の#421275です。
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■ ネックのスタイル

初期のマーチンギターのネックには白木が使われており、黒く染色されているものが多く見られます。ネックヒール(アイスクリームコーンという愛称)も、ヘッドストックも分離型で、ダブテイルで接ぎ木されています。この頃のネックの多くは、ウィーンのシュタウファーギターを真似たスタイルをしており、6つのペグは片側につき、ヘッドの裏側には銀色のプレートが装着されています。近年の有名なギターメーカーでは、“フェンダー”がこの形に似たデザインのヘッドを使用しています。

ネックの素材がシーダー(スギ)に変った時期は記録にはないのですが、19世紀の中頃かと思われます。通常、シーダーネックは2ピースで、ヒールの部分が1ピースになってもヘッドは接ぎ木されていました。スタイル28ギターのヘッドの裏にある“ダイアモンド・ヴォルート”といわれる三角の装飾は、ネックとヘッドストックを接ぎ木していた頃の名残りです。

その後、マホガニーが入手しやすくなり、ネックの素材も変るのですが、マホガニーの使用で1ピースネックが可能となりました。シーダーは加工しやすく、ガット弦には良かったのですが、1ピースタイプのネックに必要な厚みを確保することが難しいという側面がありました。ネックがマホガニーに変った時期は明確ではないのですが、1916年頃だろうと言われています。その後、弦がスチールになるとマホガニーでも強度が十分でないため、ネックの補強を行います。補強材は最初はエボニーで、その後はスチールが使われます。

古いマーチンギターのネックは幾分三角形をしていたのですが、1930年代に丸くなります。古いギターの人気が高まるにつれて、三角形のネックの需要も高まり、シェナンドーシリーズなどで古いデザインのネックが使われ、今でもカスタムのオプションになっています。基本的に、ネックの幅や形は、ギタリストの好みによってよく変更されています。
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■ 12フレットネック

1930年代初期まで、12フレットのネックがマーチンの通常のデザインだったのですが、その後、すべてのモデルで14フレットが主流になります。例外は、0-21、00-21、0-42、00-42で、これらのモデルでは12フレットとスロテッドヘッドのままになっていました。しかし、2種類のスタイル42は真珠貝を使ったモデルの衰退(戦争の影響?)と共に1942年に製造中止になり、0-21も1948年に製造中止となります。

00-21だけは1993年まで継続して生産されていたのですが、その後生産されていないため、今では、マーチンの生産ラインで19世紀の半ばから継続して作られているモデルは無くなってしまいました。
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■ 14フレットネック

14フレットネックが最初に写真に登場するのは1929年のこと。ジョージア州のプロ・バンジョープレイヤー、ペリー・ベクテルのリクエストで作られました。1920年代の終わり頃、多くのバンジョープレイヤーはギタリストへの転向を余儀なくされていたのですが、ベクテル氏は1929年10月にマーチンの工場を訪れ、14フレットネックの提案を行います。提案に応えてスタイル28で試作品を作ったところ、ベクテル氏は大いに気に入り、半年後にはOM-28(オーケストラモデル)としてラインアップに加えられます。このギターは基本的に000と同じサイズで、ロングネックにデザインし直したものなのですが、以降の14フレットモデルの基となります。その後、14フレットは急速に普及し、マーチンの他のモデルだけでなく、アメリカ中のギターメーカーで14フレットのギターが主流となります。

マーチンが000を14フレットモデルとして出し始める1933年以降になると、OMという名称は使われなくなります。実際に、OMシリーズとその後の14フレット000の違いは、スケールの長さ(ナットからサドルの長さ)だけで、OMは25.4インチ、000は0や00と同様に24.9インチなのですが、1934年頃の000として表示されているモデルの中には、短期間ですが、ロングスケールのものも混じっています。OMという名称は、ラグタイムやフィンガーピッキングスタイルの流行に押され、1977年に復活します。
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■ ネックの幅

当初、12フレットのところで 2 3/8インチ(60.3o)あったマーチンギターのネック幅は、1939年頃までには 2 5/16インチ(58.7o)が一般的となり、ナットの部分でのネック幅も、初期の 1 3/4インチ(44.5o)又は 1 7/8インチから 1 11/16インチ(42.9o)と細くなります。これに伴い、サドル部分での1弦から6弦までの幅も 2 5/16インチ(58.7o)から 2 1/8インチ(54.0o)と狭くなります。ただし、ネック幅の変更は時々行われており、モデルによっても異なるため、上記の記載は厳密なものではありません。
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■ ネックの補強

ギターにスチール弦を使用するようになり、ギターのネックをエボニーを使って補強する方法が始まります。1934年には、#57305のギターから補強にスチール製のTバー(断面が“T”の字をしている)が使用されます。ただし、第2次世界大戦の頃は、鉄が不足してエボニーが再び使われた時期もあります。その後、1967年にはTバーは断面が四角のスクエアチューブに変ります。

1981年には、マーチンでもアジャスタブルロッドの使用を始めます。ロッドは片側が真っ直ぐのU字のアルミ製で出来た溝の形で、溝の中に鉄芯が入っています。鉄芯をナットで反らせる構造なのですが、調整はサウンドホールの中から六角棒レンチ(アレンレンチ)で行います。

マーチンはアジャスタブルロッドのアイデアを拒否していたわけではないのですが、実際の使用に耐えうると判断するのに数年かかりました。今では、アジャスタブルロッドは、カスタムでスクエアロッドの指定が無い限り、ほとんどの14フレットネックで標準仕様になっています。

なお、最初にアジャスタブルロッドで製造されたモデルは次の通りです。
M-36:#453982-987  MC-28:#453988-992  D-45:#454203
D-28:#454276-300  HD-35:#456515
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■ ピックガード

ピックガードは、マンドリンでは早くから一般的だったのですが、ギターで一般的になるのは何年も後のことです。ギターのピックガードは、1900年前後に特別注文でつけられており、例えば、スタイル45の試作品(00-42にインレイを増やしたモデル)に見ることができます。

ピックガードが標準で付いて最初にカタログに登場したギターは、OMシリーズで、1930年のことです。1932年までに、ほとんどのスタイルでピックガードがオプションで付くようになると、まもなくクラシックモデル以外のギターで標準仕様になります。

初期のピックガードには、本物の亀のベッコウもあるのですが、ほとんどはベッコウ模様のプラスチックで、1966年まで使われます。その後、ニトレイト素材をベッコウ柄に着色したピックガードは、黒のアセテート素材に変更となります(#217216から)。

1977年になると、M-38のピックガードでベッコウ模様が復活します。この新しい素材は以前よりも薄く、アセテート素材で作られています。なお、この素材もこれまでと同様に、ギターのトップに直接貼っており、塗装はピックガードの上から行っていました。

塗装の下にピックガードが貼られていた最後のギターは#447501で、1984年のことです。その後は糊が付いたピックガード(ベッコウ柄はニトレイト、黒はアセテート)を塗装の上から貼る形に変ります。
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  ◎記録上の仕様変更一覧(#…変更となった最初・最後のギターのシリアルナンバー)
 

 1930年 スタイル表示のスタンプがネックブロックに加わる (10月1日〜15日頃)
 1934年 T型のフレットを採用 (#57305)
 1934年 Tバーロッドをネックに採用 (#57305)
 1935年 ネックの裏のスタンプが廃止となる (#59044〜#61181の頃)
 1939年 ネックの幅が細く(1 11/16インチ)なる (#72740)
 1942年 ネックのロッドが次第にエボニーに変っていく (#80585)
 1944年 スキャロップドブレイシングが廃止となる (#89926)
 1944年 D-28の指板がドット・インレイに変る (#90021の頃)
 1947年 ヘリンボーン・トリムが廃止となる (#98223の頃)
 1947年 スタイル28のジグザグ・バックストリップが廃止となる 
                               (#99992〜#100240の頃)
 1964年 ブリッジのピンホールが1/16インチ下がる (#197207)
 1965年 可動式の短いサドルに変更 (#206601)
 1965年 すべてのDサイズギターに、102Cグローバーのペグを採用 (#205251)
 1966年 D-28とD-35のバインディングをボルタレンに変更 (#211040)
 1966年 スタイル18のバインディングをボルタレンに変更 (#212100)
 1966年 ロゼットをボルタレンに変更 (#213775)
 1966年 ブリッジピンホールが中央に移動 (#216736)
 1966年 べっ甲模様のピックガードが廃止となる (#217215)
 1966年 サイドの割れ止めテープが新タイプになる (#215253)
 1967年 スクウェアロッドが採用される (#228246)
 1967年 手押しのシリアルとモデルナンバーが最後となる (#220467)
 1967年 すべての18スタイルギターにK324クルーソンペグを採用 (#224079)
 1967年 すべての0、00、000サイズのギターがV100グローバーペグに (#226969)
 1968年 ナットが象牙に戻る (#235509)
 1968年 すべてのギターのブリッジプレートがローズウッドになる (#235586)
 1969年 Dサイズギターのブリッジプレイトを大きくする (#242454)
 1969年 12弦ギターのブリッジプレートで重いローズウッドを使用 (6月) 
 1969年 ローズウッドがハカランダからイーストインディアンに変る (#254498)
 1971年 すべてのスロテッドヘッドの12弦で1177-12コルブペグを採用
 1973年 ナットがプラスチックになる (9月19日)
 1974年 サドルがプラスチックになる (D-18#350287、D-28#355357)
 1975年 ローズウッドのサイドストリップを採用 (#360970〜#365831の頃)
 1975年 D-35(#370976)以下のギターのナット素材がミカルタになる 
 1975年 サドルがミカルタになる (#370776)
 1979年 いくつかのモデルでシャラーのペグを使用 (#416625)
 1980年 D-45でも象牙のナット使用が中止となる (#421275)
 1985年 アジャスタブルロッドの使用が徐々に主流となる (#453181)
 1986年 D-45でスキャロプドブレイスとメイプルのブリッジプレートを使用 (#467626)
 1988年 すべてのギターのブリッジプレートがメイプルになる (#478093)
   
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  ◎ボディサイズ一覧
 (「THE MARTIN BOOK」から転載し、加工しています)



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4章 マーチンギターのモデル別解説
(D-28やD-45など、各モデルについて記載する予定です)