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■ Martin Gutar 雑感
   ここでは、Martin Guitarに関して私が“感じ”ていることを、思いつくまま書いてみたいと思います。あくまでも私の独断と偏見に基づいて個人的見解を述べているものですので、客観的事実とは異なることも無責任に書かせていただいています。その点を承知した上でお読みください。
 
  ●できれば、ピックアップは使用せずに演奏して欲しい
最近、何度か500名規模のコンサートホールで演奏させてもらう機会があったのですが、私以外の出演者はほとんどピックアップ付きのギターを使用していました。
Martinにもエレアコはありますが、元々ピックアップがついていないモデルの場合、サウンドホールから出る音がそのギター本来の音になるように設計されているはずです。

加川良さんや中川五郎さんのようにステージ上で動き回る場合や、岸部眞明さんのように電気的に音を作って表現するインスト奏者の場合、ピックアップは欠かせないものなのですが、マイクの前から動かずに唄の伴奏として使用する時には、できればピックアップは使用せずに、声と同様にサウンドホールから出るエアー感(空間における音の響き)を大切にして欲しいと思っています。

もっとも、マイクを通じての音作りはハウリングの問題などで、PAを操作する者の技術が求められるようですし、アマチュアのライブの場合、それだけの技量を持たない者がPAを担当することも多くありますので、ピックアップを使用するのも仕方ないことなのかも知れませんが、せっかくいいギターを持っていながら、そのギター本来の音を聞いてもらえないという最近の状況は、残念なことに思えてなりません。

(2011.06.12)
●改めて、Martinの「すごさ」を思う
一昔前と違って、Martinギターが身近になると共に、ネットでいろんな意見が見られる時代になりましたが、文句なくMartinという会社がすごいと思うことがあります。

Martin社は1839年からずっと、ペンシルベニア州のナザレスに工場を構えており、地元の雇用を170年以上も支えている企業です。このことは、Martinで働いている皆さんの中には、曾祖父やその前の世代から代々Martin社でギター作りに携わっている方がおおぜいいるということを意味するのですが、そんな町の状況を想像できるでしょうか。

また、Martin社は社員を家族同様に大切にする会社ですので、社員の家族は生まれた時からギターを作っている環境の中で過ごす機会が多くあったものと思われます。そのように、子供の頃からギターに親しんでいる皆さんが社員となってギターを作っているという状況は、本当にすごいことだと思いませんか。

よく、「Martinは機械でギター作りを自動化し、パートのおばさんを使っている」というようなことを言う方がいますが、そのパートのおばさんの家系が、何代にもわたって100年以上もギター作りに携わっていたりするのですから、ギター作りのセンスについては、そのあたりの個人製作家よりもはるかに高いものを持っていて当然という気さえします。

Martin社は会社の株を公開せずに、代々の経営者が創立当時の方針を守り抜いて、余計な事には手を出さず、ギター作りに特化して世界的な評価を受ける企業に発展してきているわけですが、そんな企業が世界に何社くらいあるのでしょうね。

素直に、Martinは「すごい企業」だなと思った次第です。

(2011.01.13)
  ●掲示板の廃止について
4月でこのホームページの掲示板を廃止をすることを決めました。理由は以下のような感じです。

時間をかけて丁寧な返事を書くのがむなしくなった
最近ではどこの掲示板でもその傾向があるようなのですが、どんなに丁寧に返事を書いたとしても、質問者が自分の勝手な解釈をして、まともに返事を読んでいるとは思えないケースを多く見かけます。その上、質問者の意図した回答と異なる返事を書いてしまうと、まるで自分自身が攻撃されたかのような過剰な反応をしてきて、会ったこともない者同士なのにもかかわらず、相手を傷つけかねない記述を平気でする者が増えているように思います。いくらギターを愛する者同士とはいえ、そんな自己中心的な連中と文章の上だけであっても付き合うのは、虚しさが増すばかりです。

自分で調べようとせずに、すぐに聞いてくる傾向が強くなった
私が掲示板に回答を書く際には、黒澤に直接聞いたり、他のホームページを参考にして、出来る限り正確な情報を提供できるように心掛けてきたのですが、聞いてくる質問の多くは、Martin社のホームページなどで調べればすぐにわかるようなものであり、自分で調べようとせずに聞けばいいという安易な姿勢が強く感じられるケースが多くなりました。中には、私がMartin社の関係者か何かと勘違いしているケースもあるのかも知れませんが、私の心の中では、Martinというギターを弾くことと、自立した生き方をすることが強く結び付いていますので、そのような他人に依存する姿勢の強い連中とは関わりたくないというのが本音です。

ギターの音に関する感じ方は個人によって異なるもの
ギターのどんな音が好きなのか、その音をどう感じるのか、それは100人いれば100通りの感想があって当然かと思っています。「ギターが鳴っているのか鳴っていないのか」「ヴィンテージと新品のどちらが良いか」「どんな材料で作ったギターが好きか」というような主観的な事柄については、異なる経験と感性を持つ者が掲示板の文章だけで互いに話し合っても、正解は得られない事柄です。

互いの意見を尊重しながら意見交換ができるのであれば意味もあるのですが、最近では、相手を無視した書き込みをしてくる者が多く、不愉快になるほうが多いように思います。自分がどう感じるのかについては、掲示板ではなく、自分自身の感性に基づいて自由に書いてもらった文章を投稿していただいたほうが良いと考えています。そういう意味で、『マーティンギターの「音」を語る』というコーナーについては、今後とも継続して皆さんのご意見を掲載していきたいと思っています。

間違った情報が広がることに加担したくない
mixiなどのギターに関するコミュニティを見ていますと、互いに傷つけたくないという気持ちが先行しているのか、明らかに間違った情報や経験不足からくる偏った意見であっても、そのまま掲載されているだけでなく、賞賛する意見さえ見られるようになりました。これは、うかつに反論してしまうと予想もしていなかった反応が返ってきて、掲示板が荒れてしまうことを恐れてのことかと思われますが、現在では、それが常態化しつつあるのではないでしょうか。

これまで、情報量が増えることは良いことだと思っていたのですが、最近の誰でも参加できる掲示板というメディアでは、「悪貨は良貨を駆逐する」のことわざどおり、客観的な判断ができる誠実な皆さんは、くだらない議論に時間を割くのに嫌気がさして去って行き、思い込みが強くて遠慮を知らず時間を持て余しているような者が居座ることで、間違った情報が流通してしまうという構造を持つことが避けられないものになっているようです。

ということで、掲示板は終了ということにさせていただきます。

(2010.04.11)
  ●そろそろ、ギターを整理しようかと思っています
  私も今年で56歳。もうジャンルを限定して練習しないと、悔いが残る年齢になってきた。
最近まったく弾いていないギターが、00-40(Steven Kovacik)と0-18(1946年)。時々思い出したようにケースから出して状態をチェックするだけという存在なので、そろそろ必要な方に弾いてもらうために委託販売に出そうかと考えている。

40年のD-18や54年のD-28は弾いているものの、D-28GEがいい感じの音色になってきはじめたし、カスタムのHD-28(000の厚さ)が弾きやすいので、GEの弦高を少し調整してもらった上で、その2本をもっと弾き込んでいこうかなという気分が強くなってきている。

40年のD-18と54年のD-28が持つ音の魅力を考えると手放すことには躊躇しそうだが、他の皆さんにもその素晴らしさを共有してもらうということを考えるのも大切なことなのかも知れない。

さて、どうしようか…。悩みますね…。

(2010.02.26)
  ●Martinも苦労しているんだな…
  アメリカの優良企業として、株式も公開せずに自社の理念を貫き通しているMartin社。
それでも、原材料の高騰などに伴い、相当な苦労があるものと想像されます。そこで、最近のMartinの戦略を想像してみると…

1.価格変更が難しいレギュラーモデルは、低価格でも継続
自動車や家電製品の場合、モデルチェンジを行うことによって価格を変えていけるのですが、Martinのレギュラーモデルは、若干の値上げはあったものの、給料や諸物価の値上がりを考えると、昔と比べると随分安く感じる価格になっています。その上、DMやDXMのように新素材を使った10万円前後の安価なギターも主力になっていますので、販売台数の大幅な増加はあるものの、レギュラーモデル販売推進による純益の増加は困難な状況にあると想像されます。しかし、昔からのレギュラーモデルは、伝統を重んじるMartinの基本ですので、製造過程の一層の合理化などによってコストを抑えながら維持していくものと思っています。

2.ヴィンテージギター高騰を利用した新製品開発
最近10年位で、戦前のヴィンテージを中心に、価格が高騰してしまいました。最初は、新品を売っているMartinにとって、ヴィンテージの高騰は何のプラスにもならないもののように思っていたようですが、GEシリーズの成功以降、AuthenticシリーズやMuseum Editionの販売によって、ヴィンテージの高騰を新品の販売促進にも利用するようになったようです。

Authenticが対象としている1937年のD-28は市場に出てくることが稀ですが、出たとしても1000万円以上するものと思われますし、Museum Editionで対象となる1941年のD-28も600万円前後の価格になっているようです。そんな、ヴィンテージが好きな層の数を考えると、レプリカとは言え、ヴィンテージの半額以下で手にできるギターのニーズはそれなりにあり、手間はかかるものの利益は大きいはずですので、経営に貢献しているものと思われます。

3.カスタムモデルの強化
クロサワ楽器の店舗に行くと、トップに高級な材料を使ったものや、70年代や60年代仕様のカスタムモデルを多く目にするようになりました。個人でカスタムオーダーをする場合、どんな音になるか確認できないまま注文するため、簡単に発注に踏み切れないのですが、クロサワカスタムのように、販売店がある程度まとめた数をオーダーしてくれると、購入する側にとっては音を確認した上で購入できますので、大きなメリットとなります。その上、カスタムだとレギュラーよりも何割か高い価格設定ができますので、Martinにとってもオーダーした販売店にとってもより大きな利益を確保することができます。

これまで、レギュラーモデルの音に満足できない人はヴィンテージに向かう傾向があったのですが、そのヴィンテージがますます手に入らない状況になっていることを考えると、今後とも、レプリカモデルやカスタムモデルの販売強化という経営戦略は続くものと思われますし、選択肢が増えるという意味では、我々にとっても歓迎すべき傾向だと思っています。

皆さんはどう思われますか。

(2009.07.31)
  ●「最近のMartinは鳴らない」という意見が多い原因は…
  このことについては、以前から不思議に思っていました。

ギター製作の加工精度が上がり、ノウハウの蓄積も昔よりある中で、材料が豊富でなくなったとか、大量生産になったというよりも大きな原因があるのではないか…。そう考えているうちに、ふと、あることに気づきました。

どうやら、「Martinギターを十分に鳴らせるだけの技量が伴わない者でも、平気でMartinが持てる時代になった」ということが最大の原因のように思うのです。

我々が若い頃、Martinギターを持っている皆さんのほとんどがプロでした。音楽の世界でプロとして生活している皆さんの演奏技術は、我々アマチュアとは比較にならないほど高いレベルにあります。練習にしても一日に何時間も弾いているわけですから、ギターが鳴らないわけがありません。

一方で、「Martinギターが鳴らない」という人たちの多くは、週末だけしかギターを弾かないか、毎日弾くとしてもせいぜい数十分という程度のアマチュアだと思うのです。

その上、プロの皆さんはギターの特性に合わせて弾き方を変える技術を持っていますので、どんなギターでも良い音を出すのですが、我々アマチュアは、そもそも自分の演奏技術に合ったギターを選ぶことさえ簡単ではないのが現状だと思います。フラットピッキングに適したギターで弱いタッチのフィンガーピッキングをしたり、逆に、フィンガーピッキング用に作っているギターで強いストロークをしてみたり…。

良いギターはどんな弾き方をしても音が出るというようなことを言う人もいますが、Martinに何種類ものモデルがあり、それぞれのモデルで音の特徴が分けられているのは、演奏の方法に適したギターを工夫して作ってきた結果なのですから、最低でも、自分のプレイスタイルの特徴を認識してギターを選べるだけの経験がないと、Martinというギターの良さを生かすことは難しいように思うのです。

そのようなギターを専門店で販売する場合、我々のようなアマチュアに対しては、経験豊富な店員が適切なアドバイスを行うことが大切なのですが、残念なことに、「高いギターが欲しい」というお客に「あなたにはまだ早い」と言える店員は何人もいないと思います。その上、このサイトを見ている皆さんのように、ギターに関する知識は店員よりも豊富に持っているお客が多くなっているわけですから、数少ない優れた店員のアドバイスでも素直に聞けなくなっているのかも知れません。

そんな時代の変化が、「最近のMartinは鳴らない」という意見を生みだしているように思うのですが、いかがでしょうか。

(2009.06.12)
  ●ヴィンテージは自己満足かも…
  いまさらながら、「ギターの音というのは、結局は練習による演奏技術の上達によって良くなるものだ」ということがわかってきました。

もちろん、自宅で生音で弾いているときには、40年のD-18や54年のD-28のほうが、新しいギターよりも音が簡単にでますので気持ち良いのですが、フラットピッキングで早弾きを目指す場合、練習によって右手のピッキングと左手の弦を抑えるタイミングが合うようになってくると、それまであまり良くないかなと思っていたギターでも、芯のある、粒だった音が出るようになることに気づきました。要は、あまり良くないと思っていた最大の原因は、自分自身の演奏技術の稚拙さにあったということなのです。

そうなると、ギターの生音での心地良さよりも、ネックの握りやすさや弦高、右手の自然な位置を生みだすボディの大きさや厚みというもののほうが、より気になるものとなってきます。

また、人前で演奏するためにマイクやピックアップを使用するとなると、一人で弾いているときのヴィンテージの気持ち良い音というものをスピーカーを通して電気的に加工した状態で表現することは難しくなってしまいますので、Martin位のレベルのギターになると、生音がどうだというよりも、ギターのセッティングが最も重要だということが理解できるようになりました。

もしかすると、ヴィンテージサウンドというものは、他人に表現して楽しんでもらうためのものではなく、自分自身で楽しむためにあるものなのかも知れません。(もちろん、音楽というものは自分が満足するということも大切な要素ですので、それを否定するものではありません)

そういう観点から現在のMartinという楽器の出来上がりを見直してみると、新たな良さが見えてくるような気がしています。

(2009.03.11)
  ●ギターの個体差?
ギター屋さんで試奏をしてみると、同じモデルのギターでも鳴りがずいぶんと違って感じられることがよくあります。私も単純に「同じモデルでも個体差があるんだな…」と思っていたのですが、果たして、その違いは個体差なのかどうか…、少し懐疑的になっています。

中古ギターの場合、ギターの保管状態や弦高を含めた各種調整の経緯などによって違いがあるのは当然なのですが、新品のギターの場合、マーチン社ではコンピュータ制御の工作機械を使って品質管理の精度は年々高まっており、常識的に考えて、ギターの個体差というのは以前よりも少なくなっているはずなのです。

自分のギターを自宅で何時間も弾いていると、まず10分位で音の出方に変化が生じ、30分位経ってようやくそのギター本来の音の出方になるということを多くの皆さんは経験しているかと思います。

それと同様に、ギター屋さんにあるギターでも、多くのお客に弾かれているものは、最初から音がよく出ますが、長い間、誰にも弾かれていないギターというのは、どうしても音が出なくなっているのではないでしょうか。

ギターを買うとき、試奏でギターの音を出すのはせいぜい1本につき5分〜10分だと思うのですが、弾かれていないギターだと、ようやく音が出始める頃に試奏を止めてしまっていることになり、「このギターは音がこもってるな」というような感想をもつことになります。反対に、自分が試奏する前に何人ものお客さんに弾かれているようなギターは、音が出やすくなっていますので「おっ、このギターは音が前に出るな」というような感想を持ってしまいます。

つまり、ギター屋さんにある新品のギターの音の出方の違いは、ギターが本来持っている個体差よりも、そのギターが弾かれていた時間の差の影響のほうが大きいように思うのです。

そういう意味では、音の出方を比較するのであれば1本につき30分位は試奏をすべきなのかも知れません。また、お客のいないときには、「最近、弾かれていないな」と感じるギターについてはお店のスタッフが音を出すようにしておくことも大切なことのように思います。

(2009.01.09)
  ●ギターに合った演奏をするということ
多くのみなさんは、自分の演奏に合ったギター選びとセッティングというようなことを言いますが、私の場合はちょっと違うかもしれません。

私が人前で演奏するのは、岡林信康さんや中川五郎さん、高石ともやさんなどのカバー曲。それら諸先輩方の曲の場合、歌詞をいかに自分の声で表現するかが問題ですので、極端な話、ギターは何でも良く、テクニックもほとんど必要ありません。

もちろん、40年のD-18や54年のD-28で伴奏をすると素晴らしいハーモニーを奏でてくれるのですが、歌詞が重要な曲の表現にそこまで良いギターを持つ必要はなく、72年のD-28でも私にはじゅうぶん過ぎるギターであることは間違いありません。

とういうことで、そんな分を過ぎた素晴らしいギターを所有させてもらっている者としての義務感と、それらのギターが本来持っている音の素晴らしさを引き出すために、私の場合、ブルーグラスの古典でギターソロの楽譜があるものをフラットピックで練習するようにしています。Martinという会社でDサイズのギターが生まれてきた歴史を考えたときにも、やはりその頃のアメリカの曲を演奏するのが、楽器の魅力を引き出すには一番よい方法だと考えています。

具体的には、Beaumont Rag、Black Mountain Rag、Farewell Blues、Banks of the Ohioなどの曲を、時々CDを聞きながら、タブ譜を見て無理なく弾ける速度でひたすら練習しています。50回ほど弾くと、運指を身体が覚えてタブ譜を見ないでも弾けるようになりますので、それらの曲から徐々に演奏スピードを速くするという方法です。私の場合、速く弾くということが目的でなく、あくまでもMartinらしいギターの音を楽しむのが目的ですので、正確に、奇麗な音が出るようにピックの当て方や指の運び方などを工夫して楽しんでいます。

そんな練習を平日は夕食前に30分〜1時間程度、休みの日には最低でも2時間は行うことを数年続けているのですが、何となく速く弾けるようになっている気がします。ただ、並行してマンドリンの練習もしているものですから、ギターに充てる時間はそのうち半分位でしょうか。

こうして練習を続けて、65歳を過ぎて頭も禿げ、外見がすっかり爺さんになった頃、見ている人がびっくりするような速弾きで、平然とした顔で演奏できるようになりたいと夢見ているわけですが、同時に運動神経は衰えてくるでしょうから、腕前の上達と身体の衰えのどちらが早いかの競争になるのでしょうね。

(2008.02.05)
●もうギターの購入は打ち止めかな…?
下のほうで、1940年のD-18が価値観を変えたというお話しをしましたが、ひとつだけ、ずっとこだわりを持ち続けていたギターがありました。1954年のD-28、そう、私のバースイヤーのD-28です。そして、ついに先日、1954年のD-28が私のところにやってきてしまいました。

実は、その少し前に1972年のD-28で鳴りの良いものがあり、「そうか、オレが18歳の時のD-28となると、ギターを真剣に弾き始めた頃のギターだから、バースイヤーよりもいいかな…」と妙な理由で自分を納得させて、D-35を委託に出して購入したのですが、それから何日もしないうちに1954年の話しがあり、「これも縁だからな…」と再び自分に言い聞かせて手に入れてしまいました。

これで、ハカランダ・Tバーロッドの1954年と、インディアンローズ・スクエアロッドの1972年、そしてハカランダ・アジャスタブルロッドでスキャロップ・フォワードシフトのGEと、基本的な構造が異なるD-28が3本揃ったことになります。

弾いた感じですが、正直なところ、甲乙付け難いものがあります。歌の伴奏としてフィンガーピッキングでベースランを効かせる場合、54年よりもGEのほうが低音の魅力と音色の優しさという点では勝っているように思いますが、残響音の長さなど全体的なバランスとなると54年のほうが輪郭がはっきりして心地よいようにも思えます。そして、フラットピックで単音弾きをする場合も、音全体の音色という点で54年に分があるように感じています。

そして、インディアンローズとハカランダの大きな違いとして、低音の残り方があるようです。インディアンローズも大きな音は出るものの、「ボ〜ン」というちょっと単調な感じを受ける一方で、ハカランダは「ボン〜」という感じで、インディアンよりも早く音が減衰するものの、色気のある残響音が魅力的です。

ストロークした時ですが、ハカランダだと中高音の倍音が強過ぎるのか、強いストロークの場合に耳障りに感じることがあり、インディアンローズのほうがすっきりとした印象を受けます。ハカランダの場合は少し弱めのストロークにし、インディアンの場合は少し柔らかめか、硬くて薄いピックでストロークしたほうが素材の良さが生きるように思っています。

ということで、ずっとこだわりを持っていた1954年のD-28を手に入れた今、次に欲しいと思うギターがなくなってしまいました。財政的にもほぼ限界になっていますので、ギターの購入はこれにて打ち止めになるかと思います。そして、これから悩むのは「どのギターから生活費に変えるか」ということになりそうです。生活とコストパフォーマンスを考えると、最後に残るのは1972年のD-28になるのかも知れませんね…。

(2007.12.21)
●ギター素材メーカーとしてのMartin
2つ下の記述とも関連するのですが、今後、木材資源が枯渇する傾向にあることは確実です。その上、中国やインドなどが自国産の木材を使って、結構レベルの高い安価なギターをどんどん制作するようになることも間違いありません。

そこで、Martinにしかできないことを考えてみたのですが、木材以外のギター用素材の開発という部分があります。現在でもBlack StratabondやHPLなどの開発を行っていますが、このような新素材の開発は、工場設備と長年の経験が必要ですので、中小のギターメーカーや新規参入したメーカーには絶対に真似できないことです。

となると、将来、世界的に木材資源が手に入りにくくなった時には、Martinが圧倒的な強みを持つことになります。ギターメーカーに対して、ギターの素材を供給する立場のMartin社。きっと、経営の大きな柱となるのでしょうね。

そして、その頃には、新素材を使うことでストックしていた良質の木材を使って、他社にはもう作ることのできないギターを時々出すような気がします。

(2006.06.21)
●年齢とギターとの関わり
私の個人的な意見なのですが、人生の中でギターの位置付けというのは大きく言って3回程変化するように思います。

第一ステージ(25歳位まで)
学生時代からギターを弾き、就職しても、好きなギターを職業にできないものかと、結構真剣に練習する時期です。しかし、好きな音楽で生活することの難しさを悟り、企業の競争社会の中で、次第に自分の好きな生き方を追求することをあきらめてしまいます。

第二ステージ(25歳〜50歳位まで)
次第に企業人になると共に、結婚、住宅、子育てという、人生で最もお金のかかる時期になるため、ギターは休日に、家族の冷たい目を意識しながら、細々と続けるだけとなってしまうようです。この頃が「仕事」と対比する意味での、「趣味」としてギターを弾いている時期と言えます。

第三ステージ(50歳位〜死ぬまで)
実際には、50歳を超えても55歳位までは子供にお金がかかってしまうのですが、子供たちが精神的に自立してしまうと、次第に親という立場に疎外感を感じるようになり、再びギターを弾いて自分自身の存在を確認するようになり始めます。そして、体力や気力の低下を自覚し始め、職場の中での存在の重要性が次第に低くなるに従い、ギターというものを「趣味」というよりも「ライフスタイルを実現するもの」あるいは「自分の存在理由」というように感じ始めるかも知れません。現実には、若い頃にギターを弾いていた老人というのは、これまで日本で殆ど経験したことのない存在なのですが、これから、そんな老人があたりまえのように存在する世の中になってきます。そういう意味では、大きく日本の文化というものを変えてしまう可能性を持っているかも知れません。
 
(2006.05.30)
●Martinはどこへ行くのか?
Martin Guitarの年間生産台数は、1990年には1万台だったものが、現在では5万台を超えるまでになってしまっているのはご存知のとおりです。今回は、今後Martinがどうなるのかを独断と偏見で予測してみようと思います。

1.主力は合板ギターに
現在、ハカランダのギターはGEで時々生産されるだけであり、ネックの材料も十分なマホガニーの量が確保できないためメイプルなどに変更されつつあるのはご存知のとおりです。ネック材料の変更は、年間1万台以下の製造台数の企業であれば、まだそんなことをしなくとも対応できるのかもしれないものの、5万台となると品質を維持するだけの均質な材料が確保できないのが実情なのでしょう。

木材資源は先進国が開発途上国から輸入することで使用可能なものですが、今後、アジアや中南米の開発途上国と言われる国が経済発展することによって、自国での木材資源消費が飛躍的に増えるため、輸出する余裕がなくなるのは確実です。特に、単板のギターで使用出来るような太い木材となると、生育に何百年もかかるわけですから、今後、材料が手に入らなくなることは避けられません。

既に、アメリカでのMartin Guitar販売の主力は合板ギターになっているようですが、今後は単板ギターの生産は全体の10%以下になるように思います。

2.Martinらしい音の変更
Martin Guitarは澄んだ音色とサスティーンの長さ、全体のバランスの良さ等に定評があるのですが、最近の日本での傾向として、ピックアップを使ってフィンガーピッキングで演奏するスタイルが増えてきています。そうなると、ギターの性能よりも音響機器の性能に左右される要素が大きくなると共に、長すぎるサスティーンは邪魔になってきます。

Martinは、先代のFrankの時代に手を広げすぎて倒産の危機に陥った中、現在の社長が「ギター作りの原点に戻る」ことを宣言して、現在の繁栄を得た企業ですので、伝統を重視する企業体質が強く、Martinらしいと言われる音作りを変更するには大変な勇気が必要かと思われます。しかし、ここまで企業が大きくなってしまった以上、売上を落とすことは再び経営危機になってしまいますので、ピックアップを付けて、フィンガーピッカーに好まれるようなギターを作るようになることは必然的な流れかと思われます。

もっとも、フィンガーピッカーが増えているというのは、日本の一部だけの現象かも知れませんし、今後開発途上国が豊かになることで、そのような国でギターを弾く人の数が増えるようになるとすれば、現在のMartinらしい音が変更されることはないかも知れません。

3.Martin Guitarの二極化
合板ギターが主流となり、単板ギターの製造は一部(といっても、個人製作家の数を遥かにしのぐ数ですが)となると、原材料の入手ルートやギターの製造過程、製造に必要な従業員のスキルなどが異なりますので、同じ工場で作るのは非効率となります。

今でもバックパッカーはメキシコ工場で作られていますが、単板と合板のギターは別々の工場で作られるようになるのではないでしょうか。また、木材資源が稀少になってくると輸出が制限されることも懸念されますので、木材の育つアジアや中南米に現地工場を作って対応するようになるかも知れません。

今でも、Martinの高級単板ギターと安価な合板ギターの価格差は大きなものがありますが、今後はその二極化が明確になると共に、マーケティング戦略として、別のブランドとして登場してくるようになることも考えられます。

(2006.01.15)
 
  ●Martin Guitarを語る時に認識しておきたいこと
  最近のD-50やD-100などのギターを見て、「あんな装飾だらけの非実用的なギターを作るなんてMartinもどうかしてるよ」という声を聞く場合があります。確かに、私も個人的には同じ意見なのですが、その前に、Martin Guitarという存在の背景を認識しておきたいと思います。

まず、Martinはドレッドノウトといわれるカントリーミュージックに不可欠なDサイズのギターを最初に作った会社であり、アメリカ人の間では、カントリーミュージックのギター=Martinという感覚が強いと思います。

そして、カントリーミュージックというのは、日本人にとっての演歌のようなものであり、特に白人の開拓者精神(フロンティアスピリット)を象徴するものと言っても良い音楽ジャンルです。言い換えると、大多数のアメリカ人にとって、Martinは白人の伝統的な文化を象徴する存在だと言ってもいいでしょう。

カントリーミュージックというと、高齢になっても、派手な衣装を見につけて革のブーツにテンガロンハットをかぶって、照明がギラギラしたステージで唄うという感じですが、そんなステージでD-50やD-100のようなド派手で高価なギターを持って演奏するというのは、実にさまになっている光景だと思いませんか。

0や00、000サイズのギターにはそのような文化を象徴するような意味合いは薄いかと思いますが、MartinのDサイズギターを語る際には、以上のような認識を持っておいたほうが、理解がし易いように考えた次第です。

アメリカでは、「異文化理解」というのが学問の大きな分野として存在しています。つまり、アメリカのような多民族からなる国では、文化の違いを認めながら共存の道を探らない限り、国家が成り立ちません。一方で、単一民族意識の強い日本では、文化の違いを認めて共存するというよりも、異質なものは排除しようとする傾向が歴史的にも強い国です。そして、インターネット上でのギターを巡る論議で、一部の排他的で攻撃的な意見を見ていると、日本人らしい反応だな…と、妙に納得したりします(笑)。

ついでに言っておきますと、アメリカで白人の伝統的文化を象徴するギターがMartinだとすると、Gibsonは黒人の伝統的文化を象徴するギターという感覚が強いとも聞いています。

ギターを道具として判断することも良いのですが、たまには、伝統的文化を象徴する存在として考えてみるのも面白いと思いますよ。

(2005.05.07)
  
●ハカランダに関する噂について
Martin社が世界の代理店に出した通知についていろんな憶測が飛び交っている。

内容は、「当社で要求しているレベルのハカランダを供給してくれる業者がなくなったので、GEシリーズの価格を上げるとともに、新たな供給業者が見つかるまでハカランダを使ったギターの製造台数を予定よりも少なくする」というような趣旨だ。

そして、飛び交っている憶測の代表的な内容としては

Martin社で火災があり、自社にストックしていたハカランダのかなりの量が焼失した。
Martin社も、違法に伐採されたハカランダを入手していたが、最近、違法伐採の摘発が厳しくなり、Martin社にも累が及ぶ可能性が出てきたため、該当する入手ルートを切った。
ハカランダが確保できないというのはこじつけで、単純に全体的に製品価格を値上げするための理由にすぎない。

というようなものがある。

どれももっともらしい憶測なのだが、ハカランダが稀少で高価な材料であることは以前からのことであり、日本での価格(特にMartin)は既に適切な範囲を超えて高額となっているため、今回の噂でどれが正しくとも、ハカランダを使ったギターが大幅に高騰することは考え難い。

既に何本もハカランダのギターを持っているコレクターの立場では「今のうちに買ったほうがいい」という噂が広がって相場が上昇したほうがいいと思うのが当然だろう。一方で、プレイヤーの間では、「ハカランダ独特の張りのある音は魅力的だが、インディアンローズとの音の差が、その価格差ほどあるとは思えない」という、冷静な意見が多数を占めている。

どちらにしても、自分の立場を確認して、周囲の噂に踊らされないようにしたいものだ。

(2004.06.24)
   
  ●Martin Guitarは本当に高価?
  Martin Guitarを持っているというと、「え、あんな高いギターを持ってるの?」という反応をする方がいる。(同時に、「それほど上手くもないのに」という表情が読み取れるのだが…)
確かに、ギターごときに数十万のお金をかけるのは贅沢だと思うのが一般的な考え方なのだろう。しかし、本当に高価なギターなのだろうか?

最近は、メリルとかコリングスというMartinに似たギターを出しているメーカーの人気が高いが、価格はMartinのレギュラーモデルよりもはるかに高い。フィンガーピッカーが好んで使用する日本の製作家のギターも、同様に高いし、テリーズテリーなどは数倍の価格がしている。Martinを高価だと言う場合、“大量生産のメーカーにしては高い”というだけの話であり、同レベルの材料を使ったギターの中では、決して高価なギターだとは言えないように思う。

ましてや、中古の相場が安定しているため、ギターを買い換えたり、現金が必要になって売却する場合、委託販売であれば買った価格の8割程度は回収できるわけだから、車のような消耗品と比べて遥かに無駄が少ない。そう考えると、Martin Guitarは、値段の割に品質が安定したお買い得のギターのようにも思えるのだが、いかがなものだろうか?


(2003.05.07)
   
  ●価値観を変えるギターとの出会い
“…音を語る”の欄にも書き込みをしたが、この度、1940年のD-18が縁あって我が家にやってきた。60年以上にわたって何人ものプレイヤーに弾かれたトップは弾き傷でえぐられ、子供がハートとダイヤを悪戯書きした跡のあるという、新品しかダメという方にとっては、絶対に触りたいと思わないようなギターだ。
しかし、その音たるや、ヴィンテージギターに対して私が持っていた懐疑的なイメージを一変させるような凄さで、ギターに対する価値観が変わってしまった。

ギターは、この世に楽器として生まれてくる。楽器にとって幸せな事は音を出して人々に聞いてもらうことであり、大して弾かれもせずに大切に飾ってもらうことではないとに思う。
もちろん、私も好きなギターは大切にするし、眺めているだけでも幸せな気分になれるのだが、もしかすると、ギターにとって不幸な状態なのかも知れないと思い始めた。

中古ギターの値段は、音ではなく見かけの綺麗さで決まる。1940年の傷がほとんどないギターだと、私の買ったギターの倍以上の値段となる。しかし、音は同じ年代のギターとは思えない程度しか出ない。もちろん、それでも普通のギターよりは鳴っているため、多くの人は納得して買ってしまい、中古ギター屋が成り立っているということもあるのだが…。

これから、弾かないギターは誰かに弾いてもらおうと思う。ギター屋で売りに出したのでは、弾かない人の手に渡るかもしれないので、私の知っている弾く方に貸そうと思う。
きっと、それがギターにとってはより幸せな生き方なのに違いない。

ほとんどのギターは、寿命といわれる100年間を、ひとりの人に弾いてもらうということはできないだろう。新品のギターをひとりの人が弾けるのはせいぜい50年。自分のギターだから自分の勝手というのでなく、やがて同じ年月を誰かの手によって弾かれるということを前提として、「今の間だけ預って弾かせていただいている」という気持ちが大切なのかも知れない。

1940年のギターなら、私の運がよければ共に寿命を終えることもできるかも…。

(2003.03.18)
       
  ●素人の能書き
最近になって、ギターの材質がどうの、弦高がどうのと、読んだ本や聞きかじった知識で議論することがアホらしくなってきた。自分自身の反省を込めての話なのだが、そういう議論をする連中にかぎって、演奏レベルは低く、実力のなさをギターの知識で補おうとでもしているように見える。

一流のプロが弾くと、どんなに安いギターであろうとも、我々が持っている高価なギターよりも確実に良い音に聞こえる。そして、我々が持っているような高級ギターを手にした場合、同じギターとは思えないような素晴らしい音を出す。
要は、ギターという楽器は「音が出る」ものではなく、演奏者が「音を引き出す」ものなのだ。音を引き出して初めて音楽になり、音楽にならない限り、その音の良さは相手に伝わらない

確かに、演奏テクニックは簡単に上達するものではなく、確実に時間と才能が必要だ。それにひきかえ、音に納得できないのをギターのせいにしてしまった場合、お金さえ出せば、違う音色のギターを手に入れることもできる。しかし、所詮は目新しい音色に出会う中で新鮮な気持ちになっただけの話であり、しばらくするとまた違う音色が欲しくなってしまう。そうして、どんどんギターの数だけは増えていくものの、一向に演奏テクニックは向上しない…。

ま、どんな趣味の世界でもマニアックな素人というのはそんなものだといえばそれまでなのだが、一流のプロやギターに関係のない世間からは、そういう目で見られているということを承知で、冷静にマニアックな世界を楽しむことも必要だという気がする。

     …どう読んでも、この文章は私自身の自己弁護にしか見えませんね…(笑)


(2003.02.07)
    
●中年になって初めてMartinを買う時の理想形
できれば新品は避け、30年程度前のギター(1970年代)を買うのがいいですね。
というのも、いろんな年代のギターを弾いてみましたが、古いギターが持つ独特の枯れた音は50年程度弾き込まないと出ないように思えてならないのです。
もちろん、もっと古いギターでも良いのですが、1969年以前になるとハカランダを使用しているため、ギターの値段が跳ね上がってしまいます。しかし、実際には、ハカランダであろうとインディアンローズであろうと音の違いは殆どわかりません。
中年(50歳前)になって新品を買っても、肉体的に弾けるのは長くても30年程度…。
70年代のギターなら枯れた音を経験することもできますが、新品を持ってしまうと、死ぬまでに枯れた音を経験することができないという、悲しい思いをしなくてはなりません。
そういう意味では、私のD-28GEやD-18GEという1930年代の仕様で新しく作ったギターにしても、私が死んだ後にようやく枯れたいい音になるのでしょうが、誰かがそのギターを手にして弾いているんだな…、と思うと悔しくてなりません。


(2002.11.27)
   
●ハカランダという材質について
ハカランダ(ブラジリアン・ローズウッド)については、値段が高いこともあり、ギター好きの中では、議論がつきないのだが、いくつかの点について私論を述べることとする。

1.音について
はっきりいって、「わからない…」。他でも書いたことはあるが、1969年以前のD-28などは全てハカランダでできているため、古い枯れた音はハカランダだから出ているということにならない。また、前田さんのイベントで目隠しして、比較的新しいハカランダのギターとインディアンローズのものとを聞き比べたときも、違いの分かる方はほとんどいなかったのが現状だ。

2.木目について
これもよく出る話題。柾目(真っ直ぐな模様)と板目(いろいろ曲がった模様)についてだが、ギター製作家の意見では、音に影響はほとんどないらしい。ただ、柾目のほうが加工はしやすく、経年変化が少ないのは事実らしい。それに、くっきりした柾目をとるためには、相当大きな木から切り出す必要があるため、ハカランダが保護植物となって輸出入が禁止されている現在では、柾目のハカランダは希少価値であることは事実だ。ただ、幻想的な板目模様を持つギターは、個人的には魅力を感じる。

結論として、アマチュアでギターを持つこと自体に価値を見出す場合は、見た目や世間の評判を気にして納得のできるギターを持でば良いことであり、個々人の価値観に従って大いに議論を行えば良いのだと思う。
ただし、プロとなると話は全くことなる。彼らは客観的な音の評価が全てである以上、音に影響がないと思われる木目にこだわっているとすれば、たいしたプレイヤーではないだろう。


(2002.09.24)
  
●ギターの“音量”と“音質”について
  どこかの掲示板で出ていた話題に、ギターの音量と音質というテーマがあった。
要は、大きな音がでるギターと綺麗な音が出るギターということだが、私自身が思いついた試論を展開してみることにする。

<試論1. 音量はギターメーカーの個性による>
音量を決定するのは、ブレイシングの構造や板の厚さなど、ギターの作りの部分だろう。この作りは、基本的にメーカーの音作りの基本(個性)ともいうべき部分であり、どのメーカーのギターを選ぶかということがポイントとなる。

<試論2. 音量は値段に比例しないが、音質はギターの値段に比例する>
音量はメーカーの差なのだが、全体的に高価なギターを作っているメーカーほどギターの音が大きいということはない(もちろん、音の出方には差がある)。しかし、音質となると、使う木材やブレイシングの微妙な調整が必要となるため、良い音質を得るためには、高価な木材と腕の良い職人を使う必要があるため、どうしても値段が高くなる。ここで言う“良い音質”については、個々に感じ方は違うかもしれないが、前提として、楽器のように長い歴史を持つ商品の場合、何が“良い音質”なのかという点については職人の中で一定の基準があると思われるため、その基準に従うことにする。

<試論3. 音量も音質も演奏時には変えられる>
音量も音質(客観的な意味で)も、人前で演奏するときに必要な要素だと思うが、音量はミキサーやマイクで自由に変えられるし、音質についても最近の音響技術でどのようにも変化させることが可能になってきた。こうなると、電気機器を通して演奏する場合は、高価なギターは必要ないということも言える。すると、良い音質の高価なギターは、自分で爪弾いたり、小さな会場で生音で演奏するような場合しか、その真価を発揮することは出来ないのかもしれない。

<試論4. 高級ギターはマニアのもの?>
さて、そうなると、プロは音という点だけを考えたときは安いギターでも構わないわけで、高級なギターが持つ音質にこだわるのはアマチュアのマニアということになってくる。実際に、プロが最もこだわる点は、ギターの弾きやすさ(プレイアビリティ)らしい。

ただ、ギターの弾きやすさというのは、やはり価格と密接に関連しており、高級なギターほど弾きやすいということも言えるため、この試論は成り立たないような気もする。良かった…

(2002.08.14)
  
  ●ギターの本数は少ないほうが幸せ? 
  私だけでなく、Martinギターの音の魅力にとりつかれた皆さんの多くは、何本ものギターを持ってしまう傾向が強い。しかし、必要以上に多くのギターを保有していると、ライブでどのギターを使用するか迷ったり、弾かずに置いていることによる音の変化を恐れて出すギターのローテーションに工夫をしたりと、ギターを弾くこと以外の余計な気を使うことになる。

私の個人的な好みでいうと、ギターはできれば3本以内に抑えておきたい。そして、ギタースタンドに出して、いつでも弾ける状態にしておくほうがいい。構成は、Dサイズでフィンガーピッキングでもきれいな響きをもつもの、同じくDサイズでも’70年代のプロテストソングのようにストロークで荒々しい音を出せるもの、そして0か00サイズでのんびりと弾けるもの、そんな感じが理想的だろうか。


数本の個性的なギターにたっぷりと愛情を注ぎながら、その成長を見守る。そんな幸せを味わうには少しずつでも持っているギターを処分する必要があるのだが、一旦愛着を持ってしまうと、なかなか決断ができなくなる…。買う決断よりも手放す決断のほうが何倍も難しいものだ。

(2002.03.26)
     
  ●“いい音”っていったい何だろう?
  我が家のMartinも、とうとう8本になってしまった。
こうなると、いくら交代に弾くといっても、音を育てきれないので、D-28と000-28は友人に貸してあり、私の代わりに弾いてもらっている。ときどき、同じようなモデルはどちらかを売ろうかとも思うのだが、弾いていると、個性がわかるので、可愛くて手放せなくなってしまう。

正直なところ、値段によってと音色の違いはあるのだが、我々素人の場合、絶対的な音色の優劣に対する基準がないため、どれが“いい音”か言えないものがある。これが、演奏するジャンルが明確なプロの場合、自分の求める音を意識して演奏するのでそんなこともないのだろうが、ブルーグラス、アイリッシュ、ブルース、フォークと弾くジャンルは定まらず、フィンガーピッキング、フラットピッキングと奏法も定まらない私としては、よけいにいい音に対する基準がもてなくなってしまっているようだ。

先日も1946年の0-18を購入したのだが、しばらく家で弾いていると、00C-1というサイドが合板のギターと似た音だなというイメージが湧いてきた。そこで00C-1と弾き比べてみたのだが、やはり音の出かたが根本的に違う。0-18はボディ全体から軽快な音をだすのだが、00C-1は、どこか表面的な音に聞こえる。だからといって、00C-1が悪い音なのかというとそうも言えず、曲によっては00C-1の表面的な音のほうがピッタリ来る場合があるから困ってしまう。

極端な例がBackpackerという3万円程度のミニギター。最初は「コンパクトでいいけど、これはギターの音じゃないな」と思っていたのだが、いざ弾いていると、高音域の妙に澄んだ音色が最高に感じるときがある。

やはり、ギターは音楽を奏でるものであり、音楽は感性の世界である。人間の感性は、体調や時間、季節や年齢によって大きく変わる。そして、それが芸術を生み出す。いい音という絶対的な感覚を持っている人の場合、その基準は主観的な感性の世界ではないのかもしれない。きっと、「聞く者の評価」という客観的かつ冷静な判断基準を自分の中に持っているに違いない。

そうすると、いい音を明確にし、持つギターを限定するには、人前でなるべく多く弾く機会を持つことが一番いい方法なのかもしれない。

(2002.03.05)
      
●ギター“オタク”にならないように!
本来、ギターというものは、演奏するためにあり、フォークソングは人に聞かせるためのものだと思います。しかし、ギターの世界は奥が深いため、“ギターを所有する”ということそのものが目的となり得るため、何本も所有して、密かに楽しんでいるという方も多いようです。知らない人から見ると、私なんかも、その一人に見えるかも知れないのですが、そういう状態は、どうもみっともなく思えてなりません。

個人の趣味なのですからどうでもいいことなのですが、70年代のフォークブームにMartin Guitarの精神を感じる私としては、ひとりでニヤニヤしながら自己満足の世界に浸るような連中にはMartinを持って欲しくないと思っています。

下手でも、なんでも、自分の思いを外に向かってギターで表現する。それが、Martinを持つ者の基本だと考えます。自己表現が苦手な中年にとっては、困難なことなのですが、ぜひとも勇気をもって、「戦うオヤジ」として外に出ましょう!応援しますから!

(2002.01.03)
   
  ●ギターの年齢と音(試論)
果たして、鉄弦を張ったギターの場合、何年程度音が維持できるのでしょう?

バイオリンやクラシクギターと比べ、フォークギターには弦のテンションと音の大きさから、遥かに強いストレスがかかっていますので、楽器としての寿命はかなり短いと思っています。
実際に40年代以前のギターで新品のギター以上の響きを保っているものは、かなり少ないのが現状です。そこで、1940年に製作されたギターの場合、今年で61歳。我々の定年が通常60歳〜65歳ということを考えると、ギターの定年も同じ程度と考えてはどうでしょう。

若いギターの場合は、木に含まれる水分とスプルースの持つ樹液の結晶化の関係で、弾けば弾くほど、良い音(枯れた音)になるのが早いということを聞きます。しかし、水分が抜け、結晶化がピークに達した時期以降は、音はそれ以上良くなるケースは少なく、通常は木の劣化と共に響きが悪くなるのではないでしょうか。

仮に人と同じようなものだとすると、最も音が充実するのが壮年の40歳〜50歳、つまり1950年から1960年の頃のギターで、その頃までなら、かなりの確率でパワーのある音が期待できます。そして、それ以前のギターは、パワーが落ちることになり、1940年代以前では、相当探さないとパワーのあるギターは少ないということになります。

もちろん、人間に個人差があるように、ギターにも個体差はあるのですが、Martinという、名門出身ですので、人間よりも個体差は少ないと考えています。

こう考えると、40年代でもパワーを維持しているのは、コレクターズギターと言われるように、極力演奏はせず、自然な木の経年変化を待ったものが多いのかも知れません。ガンガン弾いて早い時期に音のピークを迎えたものは、劣化も早くなっているのではないでしょうか。

この仮説を前提として考えると、自分にとって何年製のギターがふさわしいのか、何となく見えてくるようにも思いますし、バースイヤーのギターを持つ理由も合理的に思えてきます。

ただし、パワーがなくなる代わりに、味わいのある音になることが考えられますので、一概に音が“悪くなる”とは言えません。

また、40年代のギターの音を“モンスターサウンド”などという表現をして、すごいパワーがあるかのような宣伝文句で販売しているギターショップがありますが、実際に弾いてみると、全然異なるケースが大半ですので、注意したほうが無難です。

どう思います? やはり変かな?

(2001.10.29)
  
●最近のMartin社の傾向について
多くの皆さんが同様に感じているようですが、最近のMartin社の営業姿勢には、納得できない部分がみられます。プラス要素もあるのですが、私見を書いてみたいと思います。

1.D-45GEとD-50
 
先日、最初に日本に入荷したと思われるD-45GEを弾いてきたのですが、正直なところ、ハカランダの材質にがっかりしました。もちろん個体差はあるでしょうし、音的には高いレベルにあるのですが、Martin社でいうところの最高グレード材を使っているとは思えません。

今まで、D-45は「最高の材質が確保できたときだけ作る」という、Martin社の最高峰ギターとして存在していたはずなのですが、D-50というド派手で成金趣味のギターを発表して以来、最高の材質はそちらに優先的に使用されてしまい、D-50と同時期に作られているD-45GEの材質が低下していることが心配されます。

そうなると、90年代に作られたヴィンテージモデルのほうが良い材質を使っているわけで、D-45GEの250万円という価格設定はどうみても高いと感じてしまいます。

2.アーティストモデル乱造による影響
 
昨年あたりからアーティストモデルが目立ちはじめたのですが、その製造によって、レギュラーモデルの入荷が遅れています。当然のこととして、腕の良い職人はアーティストモデルに優先的にまわされるでしょうから、レギュラーモデルを担当する職人の技術低下が心配されます。

3.いろんな材質に挑戦する姿勢
 
最近は、合板だけでなく、アルミニュームでできたギターも製造を始めました。
ギターに適した木材が世界的に不足する中、個人的には、自然保護の観点からも評価できる姿勢だと思っています。
Martinの持つ「高級ギター」というイメージは損なわれてしまいますが、ギターの製造法と音をリードする企業としては、どんどん挑戦して欲しいと思います。

ただし、企業イメージが変わってしまったとき、少量生産の優秀なルシアーが作ったギターに向かう人が増えることになるでしょうね。もっとも、これまでに作ってきたギターが大量に市場に出回っていますから、イメージが変わるのは何十年も先のことでしょうが…。

結論として、ここ数年でグレードの高いギター材料が急減することは確実な雰囲気ですね。

(2001.09.11)
 
●調弦の仕方
たとえMartinといえども、正確に音を合わすのは至難の業。
先日、某氏に比較的正確に合う調弦の方法を聞いてきましたのでご紹介します。

1)1弦の5フレット(A)を、440ヘルツに合わせる。
2)1弦の開放と2弦の5フレットを合わせる。
3)1弦の開放と3弦の9フレットを合わせる。
4)1弦の開放と4弦の14フレットを合わせる。
5)1弦の5フレットと5弦5フレットのハーモニクスを合わせる。
6)1弦の開放と6弦5フレットのハーモニクスを合わせる。

まずは慣れた方法でおおよそ合わせておき、最後の詰めに使ってみると、気持ち良く合うように思いました。ぜひ一度お試しを。

(2001.05.18)
  
●D-18が最もMartinらしいモデルのような気がします。
マホガニーの持つ、心地よい低音と軽く透き通る高音域が特徴のD-18。プレーヤーの演奏や歌の心を引き立てようとするかのように、あくまでも控えめに、主役になろうとしないギター…。特に木目で飾ろうともせず、比較的安価な値段で、ベトナム戦争にも兵士が好んで持っていったという。
そんなD-18が、もっともMartinらしい気がするのですが、皆さんはどう思われますか。

(2001.04.22)
  
●D-28はD-45の廉価版? 
Martinを代表するモデルといえば、やはりD-28。低音の大きな響きとはぎれの良い中高音を持ち、シンプルなデザインと共に真面目さを感じさせる。

我々の若い頃はMartinといえば高嶺の花であり、とても買おうという発想も持てなかったのだが、最近では若い人でも少しアルバイトをすれば手が届く値段となっている。ただ、ギターを最初に弾く場合は、気兼ねなく徹底的に弾けるようなギターを選ぶことが大切だと思う(私の最初のギターは28000円のモーリスだったが、今思ってもいい音がしていた)。最初からD-28のように素晴らしいギターを持ってしまうと、どのように弾いても良い音が出てしまい、表現に工夫がなくなるように思えて仕方がない。ただし、練習する時間も少なく上達が難しいような、かつてのギター少年である我々中年オヤジがMartinを持つことについては、人生最後の楽しみということで大目に見て欲しい…。

ところで、日本で出版されたMartinの本を読むと「D-28は構造も材質もD-45と基本的には同じなのだが、D-45は厳選された材質で腕の良い職人が時間をかけて作る」という記述がある。言い換えると「D-28はそれなりの材料でそれなりの職人が、いつもの仕事として作る」ということになる。確かに、Martinの主力商品として年間2000本近く生産されるのだから当然のことなのだが、どうも気に入らない。

もしそうだとすると、D-28GEはインレイの入っていないシンプルなデザインのD-45ということになってしまう。そのあたりのことは、D-45に詳しいあなた、ぜひ談話室にご意見を。

(2001.04.22初出/2002.10.09一部内容訂正)
  
●D-45コレクターと欲求不満 
Martinで最高級といわれるモデル。確かに「ドン、ジャリ」という形容がピッタリくるような低音の響きと高音の伸びをもっているものの、豊かな低高音と比較して中位の高さの音が若干劣ると同時に、倍音が出すぎて、ブルーグラス系のフラットピッキングには向いていないように思う。70年代以降の明るいフォークソングや歌謡曲を、ストローク中心にハーモニーを重視して弾くには最高のギターだ。

最大の欠点は、D-45にこだわった場合、趣味の領域を越えた出費が必要ということだろうか。1968年以降のリイッシューものに200万以上出したとしても、所詮は再生産されたものに過ぎない。音を楽しむのであればよいのだが、D-45という“ブランド”としての最高モデルにこだわる場合、1933年〜1944年に生産されたオリジナルに行きつかないかぎり、本当の満足は得られないだろう。

ところが、この間に生産された本数は91本に過ぎず、まず日本の市場には出てこない。米国の市場にごく稀に出たとしても、1000万円を下らないと思われる。

D-45は、インレイといわれる貝の装飾がヘッドや指板に施され、いかにもきらびやかで豪華なのだが、私には、所詮はオリジナルD-45が手に入らないという欲求不満を紛らわすものにしか見えないのだが、どんなものだろうか。

今年には、その派手さの最たるものとして、D-50というモデルが発売となる。アメリカの西部でよく見かける愛国心溢れたカントリーミュージック好きの金持ちが持つぶんには、“らしい”感じがするのだが、日本からも予約が数十本出ているという。どんな人が何の為に持つのか興味のあるところだ。

と言いながら、お金ができれば、いつかは70年代のD-45を所有したいと思っている自分が悲しい…。

(2001.04.21)