2004年9月1日
<エッセイ一覧へ>

「森へ・・」
 
(fathat/46歳/東京)
 

男は森の中にいた。

森はまさに生命で満ちあふれている。
その中で男はギターを弾きたいと思った。
薪に火をつけてお気に入りのウイスキーを傍らに
ギターをつま弾く。
やがて陽が沈み森の中に闇がやってくる。
焚き火の炎がゆらゆらと森を照らし出し虫たちとのセッションが始まる。
ギターが得意なわけでもない。
ただ気に入った歌を自分のギターで歌えればそれでいい。
酔うほどに押さえる指もおぼつかなくなる。
それとは反対に歌には感情がこもってくる。
いつしかウイスキーが空になりほろ酔いの中、
遠い青春の思い出を抱きながらシュラフに潜り込む。
虫の音とともに闇の森の中に男のいびきが響いた。

その夜男は夢を見た。
中学生時代の教室の中、友たちはみんなその当時の
まま何も変わりはない。
ただ男だけが年をとっていた。
みんなはそこにいる事が不思議という顔をして男を見ていた。
「おじさん誰だい?」誰かが言った。
「俺だよ俺!!」男は必死に叫んだが友たちにはとどかない。
やがて友たちは怪訝そうな顔をして教室から出て行った。
男はひとり夕陽の差し込む教室に取り残された。
あの頃の友は今どうしているのだろうか?
シュラフの中で男はちょっとだけ泣いた。
その男にとってギターは青春そのものだったに違いない。
誰もが、一度は忘れてしまい、どこかにしまい込んでしまったものを、
ある日突然思い出し。
懐かしさに震えながら押し入れの片隅から照れくさそうに出してくる。
そんな時ずっと忘れていた心のたかなりと、
くすぐったい感情がよみがえるに違いない。
男はもう中年になっていた。
しかし、このくすぐったい感覚は忘れたくないと思ったに違いない。

森の朝は早い。
鳥たちのさえずりで男は目が覚めた。張りつめた森の空気は気持ちがいい。
燃え尽きた薪に土をかぶせて男は森をあとにした。
そしていつもの生活が待つ都会へと帰っていった。
ポケットの中で何かを握りしめて・・・


   
エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→