2004年10月8日
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「楽とは・・・音・人・端」
 
(森脇/47歳/京都)


私の音楽との初めての出会いは、おそらく5歳の頃やないかと思います。
母親に無理やり放り込まれた「ヤマハの音楽教室」ですわ。
♪小鳥がね!お窓でね・・・ヤマハ、ヤマハ、ヤマハの音楽教室♪っちゅうやつです。

当時、当地の十字屋が幼稚園の園舎を借りて「教室」やっとったんですわ。
そんなんで「教室」のある日(2回/週・半日で早よ帰れる土&水)は、幼稚園終わったら仲のええ友達はみ〜んな帰ってしまうのに、ヤマハに入ってる園児だけ園舎に残されて、オルガン弾かされる訳ですわ。
ヒネクレもんの私にしてみれば「おれの自由を奪うな!」てな気分でした。

教室から帰ると決まって尋くんですわ母親が、「今日のヤマハどやった?面白かったか?」
私は決まって返したことばが「なぁ〜んにもおもろない」 「なあ、もうやめたい、ヤマハなんかやめてみんなあと早よ帰って遊びたい。」
それでも半年弱通ったでしょうか、ついに体が生理的に受け付けんようになったんやと思います。水曜、土曜の朝になると、おなか痛なるんですわ(嘘や無いんです!ほんまに痛なるんです。)

・・・今で言う「登校拒否」ですわ。
ほんでも、幼稚園は好きやったし近所の子が誘いに来るし、幼稚園だけは行ったんですわ、ほんでも「教室」ほったらかしで家帰ったんです。
毎回、毎回そんなことを繰り返す息子に、ついに母親もなんか感じるもんがあったんやと思います。

ある日、「ひろくん!松嶋先生(ヤマハの先生)に言うといたさかい、もう教室行かんでもええでな!」ほんまにうれしかった。
束縛から開放されるとはこういうこっちゃ!
このときの経験が以降40数年私の人生観に大きな影響を与えた事は勿論です。
 
「好きこそものの上手なれ」
意識の無い状況で何を言っても「ウマの耳に念仏」「ぬかにくぎ」「のれんに腕押
し」
大切なのは、「興味がないと思ってる人に興味をもって貰えるにはどうするか」「必要を感じてない人に必要と感じてもらうにはどうするか」「買いたいと思っていない人に買いたいと思っていただくにはどうするか」

大蔵省や厚生省・社会保険庁の賢いみなさん、ここんところをもっと勉強しておくれやす。「むしる」事ばっかり考えんと、「払いたないと思っている人にどうしたら払わなあかん、払いたい」と思って頂けるか、ここんところをすっ飛ばして「捕る」事ばっかし考えるさかいにうまいこといきまへんのや。

この場を借りて言うけど、「あんたらあ未納分は滞納のペナルティまでつけて徴収するくせに、過徴収は24ヶ月しか返金出来んとはどういうこっちゃ!第三号被保険者の説明などなんにもせんとワテを無理やり厚生年金に加入させといて、60ヶ月もの間、嫁はん(第三号)の保険料搾取しといて24ヶ月しか返金できんてどういうこっちゃ!まだ言わせて貰うデ!保険料の徴収は強制で給付は任意てどういうこっちゃ!おまえらあホンマにやる事汚いわ、これ民間やったら訴訟もんやで、省庁の理念、いや個人としての人生観聞かして欲しいわ、あんたらあ子供にどんな教育しとるん」

あら?音楽とは・・・ぜんぜn関係の無い・・・はなし。
えらいすみません。軌道修正、軌道修正。

そんな幼児体験をしてズ〜ト音楽と一線を曳いていたんですが
おやじの独り言にも書かせていただいたとおり、
13歳の春に音楽に再会する事になるわけです。

このころフォークは好きでも学校の音楽の授業は大嫌いでした。
しかし、中学二年のとき出逢った、音楽の伊勢先生にはホンマに感謝しとります。
それまでの音楽の先生は理論優先で実技は二の次という人が多かった中、この先生は違いました。「森脇君あんた音楽嫌い言うとるけどギター弾〜とんやってなあ、一遍学校もってこれるか、あんたの唄とギターききたいわ。」
そんなんで後日先生の前で「旅の宿」やったんですわ、それを聴いた先生がこない言わはりました。「解ったわ、音楽が嫌いなんやなくて音楽の授業が嫌いなんなやな。解った、解った、森脇君ありがとう」

今から思たらほんまにええ先生やったと思いますわ。
どうしたら音楽(授業)に興味をもってくれるやろ、伊勢先生そこんとかが知りたかったんやろねえ。

その学期のテストはこれまでの筆記試験だけやのうて、歌唱テスト(自分の一番好きな唄歌うんですわ“たくろうのともだち”歌いました)、楽器演奏(自分の得意なもんでOK)等々実技試験もされました。

その学期、わたし生まれて初めて音楽で通知簿「4+」貰いました。

「音楽」とは、音を楽しむこと!教えてもらいました。
伊勢先生ほんまにおーきに

礼 


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