2005年1月11日
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「Guitarの縁は人の縁、そして運命の出会い」
 
(gan/44歳/東京)
 

私が初めてギターを手にしたのは中学1年。
阿倍野近鉄百貨店(大阪出身でございます)にて
8000円のクラシックギターを買って、
名前は忘れましたが、通信教育の教則本も買い、
中学3年の時の学芸会で初舞台。
その時の演奏曲は「シクラメンのかほり」、「夢の中へ」そして
「いちご白書はもう一度」でした。

そして、高校入学が決まり、ご褒美にやっとフォークギター
(懐かしい響きですね)を買ってもらうために心斎橋の国際楽器へ。
そこで、「運命の出会い」がありました。
とある方に、親切丁寧にいろいろと教えて頂き、結果某国産のギターを選択。
その親切な方(Kさんと言います)に
「高校入学のお祝いにギターを買いに来たんです。」と、
お話しすると、Kさんは「どこに決まったの?」とおっしゃり、
「某高校です。」と返事すると、
「えっ!それ私の母校やん。ぜひ、軽音フォーク部に入ってね」とおっしゃられ、
自分でもそういうクラブがあれば入りたかったので、「はい!」と返事をしました。
入部後、なんとKさんは、軽音フォーク部を創設された方と知りました。
Kさんはオリジナルを中心に、すごいバンド活動をされており、
すぐに憧れの方となりました。

私は高校生当時、一所懸命、そのコピーをしておりました。
(Kさんは、30年経った今でも大阪でバンド活動をされておられます。)

その後、大学はなんとか目標の大学に合格し、大学入学のお約束にと親に、
夢であったD−28を国際楽器に買いに行きました。
するとなぜか、またKさんがお出でになり、
「僕が買った時はお店に飾ってあった1本しか試奏でけへんかったなあ」と
いろいろとご助言?を頂き、
その当時大阪で入手できうるD−28の6本の中から、1本を選びました。
この時に分かったのですが、私はKさんの、高校・大学の後輩となりました。
私のターニングポイントとなるギターの2本とも、Kさんに選んで頂いた訳です。

大学入学直後、夢のような話が振ってきました。
憧れのKさんのバンドに、参加させて頂く事になったのです。
そして、就職で東京に来るまで、一緒に活動させて頂きました。

しかし東京に来てから22年、全く音楽から遠ざかっておりました。
ひょんなことから2003年5月にバンドを結成し、
東京にてKさんのバンドの歌をコピーさせてもらっています。
ギターは28から45JPTCに変わりましたが...

そもそも、28は音量、低音、高音ともに満足しておりました。
しかしながら、長年チューニングしっぱなしがたたり、
弦高が高くなり、修理に出すことにしました。
御茶ノ水のとある楽器屋さんに持ち込んだところ、
そこにあったのがJPTC。
まずは試奏をと、手にして弾いてみたら、
弦高は低い、新品の割に低音出ている等、
私の頭から離れなくなりました。
翌日、28には申し訳ないことしましたが、
28を下取りに出し、JPTCを手に入れました。
Kさんの助言が22年経った今でも生きており、
運命のギターを手に出来たのだと思います。
平成16年12月25日
「バック・イン・タウン」にて

Kさんは私の音楽人生の中で最も影響のある方です。
22年ぶりにお会いしたところが東京曙橋のバック・イン・タウン。
おかげで今ではバック・イン・タウンに出入りさせて頂くようになり、
多くの偉大なモダンフォークファンとお付き合いさせて頂いております。

ギターを通じて、運命のKさんに出会い、Kさんに再会できたことで、
本当に沢山の素晴らしい方々と出会い、贅沢とも言える日々を
すごしております。
音楽って、すごいですね。

もし、よろしければ、私達のサイトをご覧頂きましたら、
その雰囲気がご理解頂けるかと思います。


 
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