2005年1月26日
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「2nd Stage」
 
(松本譲治/54歳/京都)
 

音楽といえば、小学校の頃から好きで、中学2年生の頃親にねだってギターを買ってもらい「ボロンボロン」と始めました。

就職をして間もなく、先輩から「フォークをやろう」とPPMのことを教えてもらい、カルチャーショックを受けました。以来レコードを擦り切れる程聴いてピーター・ヤーローの2フィンガーピッキングを練習しました。当時のレコードはステレオでも左右ではっきり音が分かれていて、聞き取りが今より楽に出来たものです。私と同じジェネレーションの方であれば、その光景をとても懐かしく思われるのではないでしょうか?

その当時からあっという間に30余年経ったのですが、その間結婚したり仕事が忙しくなったり他の趣味に高じたりで、音楽に没頭出来る時間も環境も厳しくなり、指が錆びつかない程度に細々とギターを練習する日が続きました。世界の音楽シーンも80年代中頃にはある種限界というか閉塞感が強くなって、刺激を受けたり感動することも無く、魅力を感じなくなっていたし、自分自身も技術的な進歩もなくマンネリに陥っていたような時期でした。

しかし、2000年、50代の声をきくようになって自分を取り囲む環境が変わり始め、再びギターを弾いたり、歌いたいという願望が日増しに強くなり始めた頃、信州のある過疎村の夕涼み会でライブの機会があって、久々に多くの人々の前で歌い、聴衆との一体感を初めて体験して、ステージの素晴らしさや楽しさをかみしめました。「あなたの歌を聴いてとても感動した。」とか、「涙が出てきた。」とか、楽屋にまで来ていただき「又歌って欲しい。」とか、今までに無いような反応をもらって、逆にこちらが凄いエネルギーをもらい、機会があれば又やってみたいという気持ちがふつふつと湧いて来たのでした。          

相前後して価値観を共有できる音楽仲間も出来始め、戦うオヤジの存在を知りクリスマスに「柏」を訪れたのも丁度この頃です。音楽仲間からも強い刺激や影響を受けました。「50にもなったら仕事も人生もプロやろ!!・・・音楽も歌もそういう自負をもってせなあかんのと違うか?どういう風に相手に伝わるかは別として、聴いている人に何か心に残るようなものをせんとな〜」と、元プロの方から魂のようなものをもらったこともあります。

その頃から、オリジナルを意識するようになって来たのです。自分の想いを歌に託して聞き手に伝える。それを生活の糧にする訳ではないから、自由な発想で作ることが出来る。加藤ときこさんがテレビで言ってました。「プロになってヒット曲が何曲か出た頃、売れる曲を作らなくてはならない。」と意識しはじめてから、自分の納得のできる曲が出来なくなったが、結婚を機に仕事として音楽をしなくなった時から、自分の感性が再び蘇えってきた。やはり、自分の時間の中で自然体でいられる時に良い詞が浮かんだり、きれいなメロディーが浮かぶ」と・・・・私は音楽が職業ではないので、同じレベルで語ることは出来ませんが、彼女の言っている真意はよく理解できるのです。そういう意味で、遅まきながら50歳を超えた辺りで、今までの私ではない音楽第二ステージが始まったような気がします。

ベトナム戦争末期にアメリカで湧き起ったフォークミュージックの背景にあったような、社会に対する想いというのをテーマに、自分の想いをぶっつけたいと思っています。でも、音楽としてやるからには聴いて下さる方の立場になって、メロディー、リズムそしてアレンジを大切にして、・・・・・「そんな、ええもんかいな」・・笑い・・ 

音楽の字のとおり、先ずは自ら楽しみながら命果てるまで続けて行きたいと思っています。


 
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