2005年12月21日
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「音楽の迷子」
 
(haluox/52歳/東京)



今にして思えば。
吉祥寺の街をギターを担いで闊歩していた日々は
24才を境に途切れてしまう。

何故あの頃、
人前でギターを弾きながら歌を唄う事を止めてしまったのだろうか?
「なんで止めちゃったのさ」と問われても碌な返答は出来なかった。
「いつまでもこんな事はやっていられない」と答えた事もあったが。
ありゃきっと嘘だ。

確かにその頃、プータロウな自分と別れを告げて、
正業に付いたのだが、本当の理由はきっと違う。
60年代にギターを手にしPP&Mやカレッジフォークに始まって。
やがて六文銭や風船から遠藤健司や岡林に傾倒して行った。
そしてオリジナル中心の音楽活動に成る。

しかしある日あの時、頭の中で価値観の断層が割目を覗かせて。
その時は気が付かなかったが。
徐々に断層は向う側に飛び越えられない程広がっていった。

総ての現況は岡林のバックバンドにあった。
聞く音楽とやる音楽がとっくに乖離してたんだ。
それまでのいわば一元化された音楽趣味が変貌してしまっていた。
最初は気付かなかった。
フォークロックに進化したつもりでいたのだ。
でも頭の中の時代はどんどんと急速に経過していって、
垣根が壊れてしまった僕はすぐ一杯一杯に成ってしまった。

ジェームステーラーはたとえ歌えなくてもここち良い。
しかしダニーコーチマが聞こえてくるだろ。
無理だな、弾けはしないのだ。
ましてやベックとかロベンフォードとかラリーカールトンは。
限り無く無理だったのだ。
スティーリーダンやウエザーリポートを、
いったいどうしろと言うのだ。
ギター一本でなにか?
いや聞いているだけで幸せだったのさ。
ギターは部屋の添え物として時は流れて行くのさ。
時々爪弾いては見ても曲として完結する事のない虚しい日々なのだが。

そんな事も忘れる程の年月が流れ、
そして又訪れた。
過去に戻る道しるべの様にアンプラグドなムーブメントがやって来た。
逆引きの辞書のように。
フィンガースタイルギターミュージックを貪ると。
大きな輪のように繋がって行く。

今は、タンポポ団のシバの中にロバートジョンソンが見えるし。
チェットアトキンスにディランが聞こえ。
ジョンレイボーンからケルティックの手前にPP&Mがいて。
ああ、大きな輪だ。

ふと思う。
ああっ。
あの時にD28を買っていればと。
しかし僕は此れから、何かが出来たりするのだろうか?


 
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