2008年11月4日
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「音楽との出会い」
 
(ふぅてんのどらちゃん/1954年生/大阪)


現在、大阪在住なので関西では一人で、広島ではNavvysというギターデュオで歌ってます。

私が楽器と出会った最初は、ご幼少の頃(←自分で言うな)叔父さんがトランペット・スチールギター・ウクレレを持っていて、触るだけの所から始まりました。

小学校の高学年の頃、末の叔父さんがビートルズのレコードをよくかけていたのを聞かされたものです。
末の叔父さんは、私が中高の頃はロックバンドを組んでて、時々チケットを10枚さばけと渡されておりました。
聞きに行くと、プラウドメアリーとか、ダイヤモンドヘッドとか、パイプラインとかをよく聞かされたものです。

中一の時、母にヤマハの\5000-のガットギターを買ってもらったのが、自分で持った最初の楽器です。
教則本に沿って練習を続けるうち、最後のページの禁じられた遊びを弾ける様になる頃、歌本を買うと、PP&Mの「Puff」と「風に吹かれて」の3フィンガーのタブ譜が載っていたので、曲も知らずに弾く練習を始めてました。
ある程度弾けるようになった頃、PPMのLPレコードを買って聞いてみると、3声コーラスと、それぞれの楽器のハーモニーに魅せられどっぷり漬かる事となりました。

その頃、相方はもう2人で学校の文化祭でデュオを始めていました。
ここで聞いたのが、定番曲の「今日も夢見る」。
一緒にやりたいなと思いつつ、彼は和製フォークにはまり、私はPP&Mをはじめとするモダンフォークにはまっていく事となりました。
PPMの「くよくよするな」を3フィンガーで弾くことが出来て、それを2フィンガーで弾こうと練習を重ねる日々が続き、その後、相方達のやっている和製フォークの一人練習をはじめ、家でこっそり練習の日々・・・。

高校2年の時に初めて彼らと一緒に文化祭でやることとなり、初めてひとと一緒に弾く経験をしました。
これにハマった私は、高三の時もみんなでやろうと持ちかけて、元祖Navvysでは最大の5人編成で文化祭で遊びました。

高三の時には、なぜかナターシャセブンの曲を聴いて、バンジョーがほしくなり、叔父に頼んで質流れのロングネック・オープン バンジョーを\5000-で買ってきてもらいました。
受験勉強もそっちのけで、またバンジョーの練習に励む毎日が続きました。

大学に入ると、私が広島に残り、大阪・京都・東京へとバラバラになり、そのまま解散かと思っていました。
当時、広テレの番組で「ヤングスクランブル」という30分ものの番組があり、音楽をするアマチュアを毎週1組募集しているものを良く見てました。
思いつきで応募し、真夏の広島城の炎天下での公開録画に出演しました。
1972年の夏のTV出演が、事実上 解散の演奏となったわけです。

大学の時、クラブは最初はカントリーウェスタンに入りたかったのですが、5弦バンジョー弾ける人がいなかったのと、フィドルをやってくれと言われたので、入部をしませんでした。

次にフォークソング部に入るのかと思ったら、実は山へ行くのが好きな私は、何を間違ったか山岳部へ入部しました。
半年の命でしたが、山岳部に居る間にオカリナを購入(でもまともに吹けない)しました。

フォーク同好会の友人たちとは、時々我が家でギターで遊んだりしているうち、ビートルズのブラックバードやブレッドのifを覚えました。
あるメンバーが、ギブソンのハミングバードを買ったから、ヤマハのギターを譲ろうか?と持ちかけてくれて、彼と交渉の末、\5000-でFG-180を手に入れたのです。クラシックギターしか持っていなかった私には初めてのフォークギターで、早速ハードケースを買いに行ったら、ギターより高い\8000-したのを覚えています。
フォークギターを初めて手にした私は、左手で握ってみると、なんと小さいネックなんだと、びっくり仰天。
それからずっとフォークギターと付き合うこととなりました。
卒業すると、だんだん弾く事もなくなり、部屋の片隅に放置状態が数十年。

2003年に、再度始めるきっかけがあり、その当時の一人と再結成して現在に至ってます。

現在、2フィンガーピッキング専門でフラットピックは使えません。
これからも音楽繋がりの友達の輪を大切にしていきたいと思ってます。




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