2009年2月13日
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「僕も まーちんくん」
 
(NISHIO/1951年生/岐阜)


私も世間のおじさん・おやじと同じく、マーティンギターの虜になりギターを眺め、雑誌を読み、ギター関係のホームページを検索し、そんな毎日を送っています。

いつからマーティンに興味をもつようになったのか。私のマーティン暦は、古くは有りません、つい2、3年前からです。ギターを持つおじさん達がよく憧れの・・・と言う表現をしますが、私には憧れは有りませんでした。

今振り返ると、フォークソングが大流行していた当時、私は高校生でした(1951年生まれ)。中津川フォークジャンボリーが開催され、ステージ作りも参加し(観客も手伝いをしていた)高田渡・岡林信康・高石ともや・五つの赤い風船なんかを好んで聞いていました。関西フォークと呼ばれていた人たちです。彼らは反体制の歌も歌い高価なギターなんかはもっての外、と言う感じに思っていました。私はマーティンなんかには興味はは有りませんでした(岡林さんや遠藤ケンジさん達がマーティンを持っているのは後で知ることになります)。そんな事で、最初に買ったギターはモンタノ(高峰楽器)でした。合板ギタ−です。

そして大学に行けば学園紛争の華々しい頃で、フォークソング愛好会に入るのですがそのサークルは部落問題研究会の先輩が創設した、音楽性よりメッセージと言う雰囲気でギターも鳴ればいい感覚です。

ヤマハはFGシリーズを出していました。しかしヤマハは量産会社で体制側の会社と言う認識があり、周囲の人もヤマハではなく、モーリス・アリア・チャキ・ジャンボ・カスガ(春日楽器)なんかばかりで、もちろんマーティンは有りません。私の次のギターは春日カントリーでした。

大学の2年か3年の時、東京の大学とジョイントコンサートをやり、彼らの何人かはマーティンでした。しかし私たちは羨ましいと思ったことは無く、むしろ冷ややかな目で見ていたと思います。

その後は同級生が高峰楽器の社長になったので、高峰のエレアコ3台を買い、昔興味の無かったヤマハを1台買い、たいして弾くわけでもなく何年も過ぎて行くのですが、ある日 高峰の従業員の人が言いました。僕が言うのもなんですが、マーティンは良いですよ!!!!と。

その頃からです、マーティンに目が行くようになったのは。まずD-28 50th(クロサワカスタム) そして丸ごと一冊D-28や古いアコースティツクギターブックを買いあさり(オークションで定価より高く)、読む毎日になりました。そうなるともう一台欲しくなりD-45を買い、000-18GE、OM45マーキスを中古で見つけ、D-35JCはエルダリーで取り寄せました。

ここまでくると皆さんの増殖病と同じですね。ここで止めるつもりでしたが、ふとした事から近くの人とギターの話をしました。その方はギターを100本くらい持っていると言うのです。それでは私なんかは足元にも及びません。まだ買ってもいいのかな?000-42MEC D-28GEを買い、ついにD-28オーセンを買ってしまったのです!!(ああ老後のお金が無くなってしまった、どうしょう)

そんな こんなで 僕も まーちんくん になってしまいました





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