「僕のフォーク人生・・・」
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(DONYA/1949年生/静岡) |
僕がフォークソングに出逢ったのは、高校生の頃・・・その頃は、膝の怪我で高校野球を断念して演劇部で新しい自分を見つけようと、もがいていたころでした。
僕の故郷・北海道網走に、高石ともや氏が「労音」のコンサートでやって来たのです。
「あぁ、音楽でも人々にメッセージが伝えられるんだぁ!」と、感じたものでした。
夢であった絵の世界に・・・と思い、東京に出て美大に通いますが、学園紛争のため授業はなく、新宿の歌声喫茶で『うたごえリーダー』のアルバイトに明け暮れていました。
たまたまギターの練習にと、同僚と西口広場で歌い始めたのが、‘69年の2月27日土曜日でした。
とても寒い日でしたが、大勢の人が立ち止まり、一緒に歌ってくれました。
『うたごえリーダー』の習性か、2時間ほど歌い、語り合い「来週も来ますよ」ということで解散。
翌週には数倍の人たちが集まってくれ、僕たちは有頂天で歌っていました。
3月の末ごろには『フォークゲリラ』と呼ばれるようになり(僕たちの気がつかないところで、政治的に利用されていたようです)数千人が集まる大集会になっていました。
5月になると、淀橋署(元新宿署)が排除命令を出し、6月28日に検挙されました。
某音楽事務所が保釈手続きをしてくれ、逮捕ということにはなりませんでしたが、僕の人生を大きく変えた出来事であったことに間違いはありません。
その音楽事務所に所属することになり、最初の出逢いである「労音」で歌うことになるのです。
その後、フォークソングからニューミュージックなるものに時代が流れ、僕は歌をやめ絵の世界に入っていきました。
10数年後に、歌っていた頃の僕を知っているという人に出逢い、またギターを持ち歌い始めることになるのですが、多くの人は僕よりも数段ギターも上手く、戸惑いもありましたが・・・歌い始めた頃、先輩シンガーに「ギターは上手くならないほうが良い。上手いギターは言葉を伝えることの邪魔になる」と言われたことを思い出し、昔のままの稚拙なギターで歌っているのです。
そんな僕が、ふとしたきっかけで『Folk Song Festival 伊豆』などという大それたイベントを立ち上げ、毎日胃の痛くなる思いをしているのは、やはり『歌には人の心を動かし、元気にする力がある』と信じているからです。
当時、多くの若者の心を揺り動かした『フォークソング』と言われる、歌を次の世代へ繋げてゆきたいと思ったのです。
僕が最初に聞いた、高石ともや氏も出演してくれます。
こんな時代だからこそ『フォークソング』なのです。
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