「不条理に立ち向かうもの」
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(松浦秀人/1963年生/愛知) |
僕はギターを持って唄う。自分で創った歌。演奏スタイルはやはりフォーク、であろう。時に首に引っ掛けたハモニカや、ピアノも使うが、誰がみてもフォークといわれる。
だがよく考えてみたら、フォークには音楽的な定義はない。8ビートが基準であるロックにはあるのに、フォークにはない。
ではフォークとは何か、と問われたら、まずはそのスタイルとしてはアコギを使うということ。そして自作の歌であることだと思う。フォークとは主義・主張を盛り込んだ音楽であるということだ。
もちろん、カバーやコピーをされている方たちを否定するつもりはない。音楽という観点から見たらそれはまた別次元の話だ。
でも、僕は自作の歌で言いたいことや感じたことを歌に託す。僕もご他聞にもれず、普段はただのサラリーマンだ。それももうずいぶん長いことやっている。でも社会の中で“成功”しているかといえば、ぜんぜんそんなことはない。むしろ社会生活は辛い。辛くて辛くてしょうがない。
けしてエラくもないし、まあ、完全に“アウトロー”の部類だ。でなければ年間40も50もLIVEをやってないだろうし、歌を聴いていただければわかっていただけるが、“甘く愉しい歌”はほとんどない。その多くが世の中の不満や矛盾を題材にしているといっても過言ではない。誠に申し訳ないことに僕の歌を聴いて楽しかったり、喜んでいただける方はほぼないといっていいだろう。
でも、それが僕の音楽「フォーク」なのだ。
今の日本は年間で3万人超もの人たちが自ら命を断っている。そしてそれが12年も続いている。おかしいと思わないか。僕はそんな人たちに向かって唄いたい。楽しくもなく、喜びもなく、ただただ辛いだけの日々を送る人たちへ。
そしてその“思い”は僕が日々の“社会”生活を送ることで共有できる。サラリーマン生活の場は「不条理」が渦巻く社会と人間の縮図だ。きっとどこへ行ってもそうは変わるまい。
だけど僕にはその気持ちをギターを持つことで吐き出すことができる。同じような思いをしている誰かに対する“応援歌”や“共有体験歌”として。
時に逃げ出したり、泣きたくなることもある。でもそんな思いをしているのはきっとあなただけじゃない。生きることは元々が辛くて哀しいことなのだ。だからこそ、ほんの少しの“喜び”“愉しみ”を探しにいこうじゃないか。ギターをかき鳴らしながら。
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