「自分の言葉に替えて唄ってみる」 |
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(熟年ギター男/1955年生/北海道) |
ギター熱が再燃して5年経った。若い頃は拓郎さんや加川良さん、ナターシャセブンのレコードを耳コピーして、何とかあの音に近づきたいとギターを弾いていた。人様の前で弾き語りをする機会などまるで無く、その曲をどう唄って表現するかなんて考えたことも無かった。
再燃のきっかけは札幌の「歌酔倶楽部ありがとう」。良いギターと素晴らしいPAのおかげで自分の弾いているギターの音がなまら良い音で聞こえる・・・火が点いた。
毎週水曜日は弾き語りの日。次の水曜日から単身赴任の終える約1年半の間、部活のように毎週通った。
最初の頃は、何とか若い頃の様にギターが弾けるようになりたいと思った。いい音を出せる様に、間違ったり止まったりしない様に、唄うことはさておいてギター重視の弾き語りだった。
フォーク酒場では人様の前での弾き語りだ。唄を軽視してはいけない事にすぐに気付く。でも歌唱力は無い、上手には唄えないのだ。じゃあどうする?
拓郎さんの「青春の詩」が唄いたかった。カーターファミリーピッキングのベースランが格好いいし、初めて聞いた頃はまさに自分の事を唄っているように思えた。でもこの歳になって唄ってみるとこの歌詞では唄えない、遠い過去の他人事だ。
この歌は今の自分を唄ってこその歌なのだ。そこで今の自分に歌詞を替えてみた。喫茶店で飲むコーヒーより自分で淹れたコーヒーの方が美味い、映画はカーチャンと夫婦割引で観る・・・そんなことを当てはめてみるとピタリとはまっていく。曲名は「熟年の詩」。
唄ってみたら反応が凄かった。私を「熟年さん」とか「熟年男」と呼ぶ人まで現れた。そんな訳で私のオヤ応のハンドルネームも「熟年ギター男」に。
なぎらさんの「葛飾にバッタを見た」が好きだ。でもこれは東京の歌。柴又も江戸川もどんな所か知らない。だから札幌での単身生活や自宅のある十勝に替えてみた。バッタもいけない。長年蝶の採集を趣味としてきた私には蝶でなくてはならない。
唄ってみたら気持ちがいい。唄いながら頭の中には十勝の風景が浮び、心を込めて唄える。歌唱力の無い私が人様の前で唄うには、言葉を理解し丁寧に唄う、これが最良なんだと思う。聞いている人には何がどんなふうに伝わっているのかは解らない、でも少なくとも唄っている私は原曲よりもはるかに気持ちが込められるのだ。
拓郎さんの「こうき心」が大好きだ。現状にとどまることなく常に新しい事にチャレンジしてみようというメッセージはこんな歳になった私の心を今でも揺さぶってくれる。だからこの歌は原曲で唄う。
でもね、この歌の最後に下にある歌詞を付け足して唄うのです。弾き語りが再燃した頃を忘れないよう、自分へのメッセージとして。
♪歌を唄ってみよう 昔唄った歌を
若くて解らない言葉の意味が 今になって解るのさ
歌を唄ってみよう もう一度 心を込めて ♪ |
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