2012年4月10日
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「ビートルズのように」
 
(ジョージ/1968年生/茨城)


「ビートルズ」、この単語にどれだけ人が想いを馳せるだろう。
もはやビートルズのメンバーは70才を超え、誰がみてもおじいちゃんだ。
それでもリンゴとポールの二人は音楽活動を続けて人生を楽しんでいる。

だれもがそうであるように、わたしも中学生のころから背伸びをしたくなりその一つが音楽への関心であった。
当時は1980年。新たなアイドルが次々に登場した年であった。
なにもかもが新しい時代に突入したような錯覚を当時の私を含め社会全体がしていたと思う。

松田聖子を筆頭に河合奈保子や早見優、男性アイドルなら、田原俊彦.近藤真彦などなど。横浜銀蝿などのキワモノ?なんかも猫を巻き込んでツッパリムーブメントのオンパレード。

70年代のフォークギターを片手に哀愁を漂わせて歌うスタイルはあんまり記憶がない・・・。それでもフォークギタークラブが学校には存在していて数人の男子が女子に囲まれギターを弾いていた様子は気になる存在としていまでも記憶している。この現象はどうやらどこの学校でもあったらしい。

私がギターを手にしたのは高校生の時だ、部活動の先輩からもらったヤマハのフォークギター。
型番はわからないが、やたらでかい音がしてへたくそさがさらに強調されるのがなんともやりきれないような気がした。当時たしか5万円ぐらいのものだと先輩からきいていたので入門としてはなかなかいいギターだったのではないかと今になっておもう。指がいたいのをがまんしながら練習を重ねFが押えられるようになった時はうれしかった。練習したのは松山千春やビートルズだった。3フィンガーを先輩から教えてもらいなんとかおぼえられた。

しかしながら当時の音楽ブームはヘビメタでジューダスプリーストだとかラウドネスなんかが流行りらしく私には音が激しすぎてあんまり好きになれずにいた。表立ってビートルズが好きとは言えずにいた。
というか、部活のほうが忙しくギターにもあんまり熱を上げられないでいた。学校(男子校)で音楽の話をしているのは帰宅部の連中でバイトとバンド、女の話が中心で私とは話があわずギターもそれっきりで大学に入っても時折思い出して弾くくらいでバンド活動なんかはしていない。
大学時代はバブル景気のころでディスコブームが到来しユーロビートといわれるものが流行り女の子はワンレンボディコン(もちろん全員じゃないけど)でやたらと派手だった気がする。
バンドで流行ったのはボウイだった。その後ヤマハは壊してしまった。

そんな牧歌的な生活をし社会人になったとたんバブル崩壊。いまだに不景気から抜け出せない日本とともに今生きている。
独身の時転勤先で暇を持て余しエレアコの安いやつを購入した。
だが2ヶ月も弾くと押し入れの中でホコリをかぶっていた。
その後結婚し仕事が忙しくなり気晴らしに14年ぶりにギターをとりだし鳴らしてみた。
弦を張り替えるとなかなか気持ちよく鳴りだし、仕事から帰るとギターを手にする時間が増えた。

民間企業の厳しさはどこでも同じで苦労はつきまとう。ある時想像しがたい労働環境においこまれ体を壊してしまった。1ヶ月休養し普段の生活にもどれたが会社人間の自分を反省した。
会社の期待に応えようと無理をしすぎたのがいけなかった。
そんな休養期間にギターを手にする時間がさらに増えた。
そんな中でふとこんなことを考えた。
『会社を定年退職した後どれだけ充実した時間をおくれるだろう。仕事をとったら自分には何があるだろう。この休養期間は定年退職といっしょだ。毎日食事、洗濯、掃除をくりかえし買い物にいく。適当に時間をやり過ごす毎日だ。隣の親父さんは定年退職後にどうやら大病をしたようだ。
とくに趣味らしいものもなさそうだし。友達がくるわけでもない。今のうちに定年後の準備を(金以外)しておかないと大変なことになりそうだ・・・。
ギターを1つの道具として自分の付き合いの幅を広げられないだろうか? 月に1回でもいい。わくわくする時間を定年後にもてるだろうか。
定年まで16年ある。この期間を定年準備期間として考えればなかなかの時間だ。』
そんな中このウエヴサイトをみつけたのです。

ビートルズの音楽は今世代を超えて愛されている。
リアルタイムで体験した人たちが感じるものは私でも感じることができ、さらに若いひとたちにも同様だ。インターネットで当時の様子を伺い知れ想いを馳せることがいつでも可能だ。

私もリンゴやポールのように音楽を70過ぎても楽しんでいたい。




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