2013年2月27日
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「Guild D-44Mとともに」
 
(シーマイナー/1962年生/北海道)


あれは、中学2年の時。親に買ってもらったのは、Morris W-30だった。
大胆にも自転車の荷台にゴム紐でしばりつけ、楽器店から家までのおよそ
10キロの道のりは、幸せ一杯の時間であった。
夢中で練習した日々。
かぐや姫、吉田拓郎、井上陽水、さだまさし。
クラスメートの多くが、フォークギターに熱中していた、すばらしい時代。
チェリッシュの影響なのか、テレビジョッキーの影響なのか、白いギターを持っているヤツもけっこういたりしたものだった。
私は南こうせつの持っていたGuildにあこがれ、ピックガードを貼り替えて。
日焼けしたボディに残ってしまった元のピックガードの跡も何のその、うれしくてたまらなかった。
しかし、時は流れ、いつしか押し入れの奥で深い眠りについたMorris W-30。その行方は、杳として知れない。

再び火がついたのは、3年前。すでに50の坂を目の前にしていた。
たまたま手に取った友人のYAMAHA The FG。
35年ぶりにもかかわらず、左手の指はスッと「C」のポジションに着いた。
右手の指は、ぎこちなくも、無意識にスリーフィンガーを奏でていた。
かぐや姫の「妹」だった。
たまらず、中古で安いのを買った。これが自分の腕に似合っている、と。
連日連夜、青春を取り戻すかのようにギターを鳴らした。腕は鳴らないのに?嫌がるカミさんを観客に。
しかし、憧れたGuildへの夢捨てがたく、楽器店に飛び込む。初めて入った店であったが、目の前に鎮座していたのは、Guild D-44M。
何という運命的な出会い。傷だらけで決していい状態というわけではなかったが、一目惚れ。
今、Guild D-44Mは、夜な夜な鳴っている。もちろん、腕は相変わらず鳴っていないが。。。
満足の日々である。いつか、これを読んでいる「戦うオヤジの応援団」の皆さんとセッションする日を夢見ながら。




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