「錦糸町の夜に歌え」 |
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(頭慢/1963年生/埼玉) |
こんばんは、頭慢です。
それは、今年の5月。4日後にライブをひかえた日のことでした。会社の社内セミナーの講師で一日喋る仕事があって、まぁ、その前から風邪で少し喉を傷めていたものの、普段あまりしない仕事、1日喋り続けたらすっかり声帯を傷めて、翌日には全く声が出なくなってしまいました。
その時にはそれが長引くとは思わなかったし、今から思えばとんでもないですが、4日後のライブもなんとかなるかなとか思っていました。ところが、まるで声が出せないこと一週間。普通に会話できないこと歌えないこと2ヶ月。ようやく声が戻ってきたのは、ごく最近。傷めてから4ヶ月以上も経ってのことでした。
小学生、中学生の頃から、ギターを弾いて歌を歌うことを覚えて、ほどなく自分で歌を創るようになりました。そして、高校、大学へ行って、たくさん歌を創って、バンドで演奏したりもするようになりました。
あんまり無いパターンかもしれませんけど、誰かのコピーとかカヴァーとかを殆んど全くやったことが無い。オリジナル一筋。そんなに積極的じゃなかったけど、ソングライターになりたいと思っていました。夢は河合奈保子さんに楽曲を提供して、仲良しになって嫁に娶ることと(笑)。
大学を卒業してからも、しばらくはバンドなど続けていたものの、よくある話ですが、歳と共に音楽をする機会は少なくなって・・。
ブランク20年。再び音楽を始めたのは2年あまり前。アコギ弾き語りのスタイルで、歌い始めました。本業の(?)作詞作曲も同時に再開して、だいたい一か月一曲のペースぐらいで創っています。ちょぼちょぼとライブも。
そして、音楽を再開してからすぐのこと、会社帰りに寄ってみたのが、東京は錦糸町、フォーク酒場「ベビーロック」というお店(フォーク酒場一覧ページにも載ってます)。すぐに気に入って、通うようになりました。そう、このお店があったからこそ、音楽を再開して2年間、音楽を続けられているんじゃないかなと思います。
普段はフォーク酒場で歌って、しっかりと準備をしてライブして、そんな自分の音楽のペースができてきた矢先のこと、最初に書いたように、声帯を傷めてしまいました。
歌えなくなると、楽器の演奏も、作詞作曲も、まるでできなくなるものですね。そもそも意欲がわかない。音楽だけに限らず、すべての意欲が無くなりました。その余波で、いろいろ人間関係も悪くなったりと。まぁ、相当に凹みました。
すなわち、わかったのは自分の中で、音楽をすることが、どんなに大きな価値を持っていたかということでした。
ようやく、歌えるようになって(まだ、完全に声が戻ったわけじゃないけど)、フォーク酒場へも、また顔を出すようになったこの頃です。音声専門外来のお医者に通って、漢方薬など色々ためしての4ヶ月。ずいぶんかかったけど、なんとか良化してきたことを、今は喜びたいと思います。まだ、ライブをする意欲は復活してないですけどね。
ということで、一曲、歌いたいと思います。聴いてください。
「錦糸町の夜に歌え」
(拍手)ありがとうございました。
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