2016年9月22日
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「わたしとギターの弾き語り 」
 
(ユウ/1951年生/千葉)


 高校生となって、ARIAの松岡良治のクラシックギターを買ってもらったのがわたしとギターの付き合いの始まりでした。当時なぜ、ギターがほしいと思ったのか、今振り返ってもよく覚えていませんが60年代中頃ですから、ビートルズでしょうか。訳なくギターがほしいという強い気持ちが不思議と芽生えていったのでしょう。とはいえ、ギターのコードもうまくおさえられず、歌うのはできても、弾く手がついて来ず、ほぼあきらめ状態。

 それから70年代に入り、ギターの上手な友達にもめぐりあい、少しずつ弾けるようになってきます。そして、フォークギターを初めて手に入れます。MORRISでした。フォークギターなのでコードは少し押さえやすかった印象です。当時は色々なフォークシンガーが次々に登場していましたので、仲間で集まって、当時のフォークソングを歌うようになりました。そういった時代の中で井上陽水さんが登場してきます。楽曲、声がすばらしく、歌詞にも共感するところも多かったと思います。そして、このころを起点としてより陽水さんの歌を中心に弾き語ることが多くなってきました。20歳代の頃です。そして人前で歌を披露することも出てきました。その後、社会人として仕事に就くわけですが、会社の祭り、宴会に駆りだされて歌うこともよくありました。そして、子育て、仕事、仕事のための転勤と弾き語りの時間はほとんど持てない時期が続きますが、それでもそばにはギターをおいていました。そんななか、あるときお年寄りの集まりで演奏の依頼を受けました。お年寄りの前での演奏はあまり経験がなく選曲も考えましたが、抒情歌、童謡なども組み入れて精いっぱい歌いました。会は終わり、玄関を出るとき、一人のご老人が涙ながらに「感動した」と握手を求めてきました。「ああ、歌はひとの役にたてるものなんだ」と実感した瞬間でした。以来、「歌は心で歌う」「自分らしく歌う」ことをこころがけるようになりました。

 時が経つのは早いもので、長年勤めてきた会社生活も後半に入ったころから、仕事を退いたあともやっぱり弾き語りだけは続けていこうと思うようになり、理屈をつけてギターも少しずつ買い増していきます。テイラー、マーチン、ギブソンなども自分の隣に並んでいきます。そして、晴れて会社人間の仕事からも解放され、毎日自由に弾き語りをできる身分となったのです。依頼があれば、福祉施設などで弾き語りをやっています。ライブハウスやフォーク酒場に客として行くこともあります。新しい曲も勉強しながら、これからも「自分らしく」「力一杯」歌っていきたいと思います。弾き語りには上手い下手も、年齢も気にすることはありません。自分らしく、心をこめて歌うことでしょう。



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