父を想う・・
カズサン

   
本当は今回公民館のお話しを、と思いましたが暫く間が空いてしまったのと山下さんの「独り言」を拝見して今回は昨年他界した父について書きたくなりました。
番外で父の思い出を少し・・・。

父は昨年の7月8日86才で他界しました。高齢なので本来大往生・・なのでしょうが自分の親が亡くなるとそうは思えないものです。

でも正直私は若い頃この父が大嫌いでした。父から手を上げられたことは無かったですが、どちらかというと気が短く母とはよく喧嘩していましたので「お父ちゃんなんか死んじゃえばいい!」と子供ながらに何度思った事でしょう。若い頃は父の優しさなど少しも感じる事ができませんでしたから。

昨年6月始め「父が入院する」と母から電話がありました。前年同じ病で入院し無事退院していたので、あまり心配はしていませんでしたが付き添いが必要との事で私も交代で付き添うことになりました。

最初は正直「付き添いも自分の親なんだからしょうがないか〜」と付き添ってやるゾ!位の気持ちでしたが、少し痴呆が入った父は少年の様で私の言う事に「うんうん」と素直で私も自然に接する事が出来、反発も消え父とふれあうよい機会となりました。

大まかな事はほぼ看護婦さんがしてくれたので私は行くと毎回父を連れ出し車いすで病院の回りを散歩。気持ち良い風が吹き、さつきが満開で思わず「きれいだね〜」と言うと父も「うんうん」とうなずきました。

夜父のトイレのついでに談話室に寄り夜景を眺めていると夜空に見事な月が見え「すごい!まん丸だ〜」というと「本当だ、すごいナ〜」二人で夜空を見上げました。極上の月でした。

「退院したらばあちゃんと、じいちゃんと・・カズコと3人でウナギ食べに行こうナッ!」退院したら皆にうなぎをご馳走してくれる話から父が何気なく私に言った言葉。
正直父や母に1番で愛されている実感が以前から無く兄や姉に対してもコンプレックスを多少持っていた私に、兄でもなく姉でもなく私の名前が出たこの時なぜか涙のスイッチが入り「そうだね〜3人でウナギ食べに行こうね〜」声がふるえ隠すのに背一杯!涙が止まらなかった。

その後退院間際になって突然脳梗塞を引き起こし動く事が困難になり家族が慌てている中、即刻病院からは延命治療をするかしないかで迫られました。悩んだ結果は父は多分「食事の楽しみも無くただ辛い治療は望まないだろう」の判断から延命治療は拒否しました。途中何度も何とかならないか悩みながら、結局最後は脳梗塞ではなく感染症で高熱を出し最後誰も看取れず他界。病院に対して少し不信が残りました。

今でも「あれで良かったのかナ〜」「他の処置は出来なかったのか?」と疑問は残りますが、延命治療を拒否したことに関しては後悔していません。もっと生きてほしかったけれど山下さんの言葉を引用させていただくと「死ぬまで生きて、心地よい自然死を迎える」父は間際心地よくは無かったかも知れないけれど長引く辛さからは解放されたと思っています。

長くなりましたが今でも父を想うと車いすで散歩したこと素敵な月を一緒に眺めたこと、ウナギのこと・・
どれも忘れられない出来事で不謹慎かもしれないのだけれどあの2ヶ月の時間は父から私へのプレゼントだった様にも思えるのです。
 

2008/7/17
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