モテる男の極意
 
瀬尾はやみ
  

私が通っていた大學は関西では屈指の大きな規模で、地方からの生徒も多く、勢い彼らの多くは下宿生活を余儀なくされておりました。

私が属していた英文科は、男4割、女6割という、下心たっぷりの男にとっては好条件の大學でした。入学当初から、私は服装にもずいぶんお金を使い(その当時は石津健介のIVYルックが一世を風靡していましたから)「これだけ隙なくファッションに神経を配ったら、モテないはずがない」などと高をくくり、馬術部に籍を置く一方で、フォークグループなど結成し、ギターでは飽きたらずにバンジョーなどを弾き、得意がっていた。そして頭にあるのはリビドーだけという、実に不純な学生でありました。

しかし、私の不純な動機はあっさりと見破られたのでしょう。思っていたよりも女性方はガードが堅く、私のような軽佻浮薄な男には、なかなか心を許してくれませぬ。

鈴木は一見、何の変哲もないサエない男でした。俳優の小沢昭一に似た彼は、立ち居振る舞いも服装も風采も至って野暮ったく、泥臭い域を出るものではありませんでした。

私の方が、英語の発音も知識も教養もマスクも服装センスも遙かに勝っている(と思っていた)し、なんで鈴木がクラスで一等美景を彼女にすることができたのか、ミステリーでした。正直悔しくもありました。

ところが、彼が武器にしていたのはまさにその「泥臭さ」だったのです。それを発見したのは、ある偶然からでした。

彼が「最初の彼女」との仲が「終った」あとの、ある晩秋の夕方、私は鈴木と行動を共にする機会がありました。 彼は梅田でたこ焼きを買い、電車に乗って学校近くの駅で降り、工学部キャンパス裏にたくさんあった「下宿街」へと歩いてゆくのです。

今とは時代が違います。今なら、ワンルームマンションが一般的かも知れないですが、そのころは安普請の、侘びしい四畳半一間の畳部屋が普通でした。ちょうど、かぐや姫の「神田川」に出てくるような、貧乏くさい下宿が夥しく並んでいる一角。彼は迷うことなく、そのうちのひとつの部屋のドアをノックしました。

ややあって戸口に姿を見せたのはSK女史という、英文科では真面目で通る評判の美人でした。いぶかる彼女に、彼はおずおずと、「ちょっと近くに寄ったついでに、来てみたんやけど…、これ…、たこ焼き…」と言って、先ほど買ったばかりのたこ焼きを彼女に差し出すではないですか。

SKさんは面食らったのでしょう。「どうして私に?」 と問い返しました。そのとき鈴木の言ったセリフが実に印象的だった故に、私は今でも覚えているのです。

「別に特別の用事はないねんけど、キミ、今日すごくしんどそうな顔しとったやん。それが妙に気になって、ちょっと余計な心配をしただけやねん。ゴメンな…。気ィ悪せんといて。あっ、この店のたこ焼き、旨いって評判やから、ちょっと買ってきたんやけど、もしよかったらあとで食べてみて。ぼくらこれから用事があるからもう行くワ」 とそれだけを言うと、KSさんの手にたこ焼きを押しつけて、返事も聞かずに私を促してもと来た道を戻るのでありました。

無論、「用事」などあるわけもないのですが、それが彼の手だったのです。鮮やかな演出でした。

親元を離れ、地方から出てきている女の子が、半年以上の下宿生活で疲れ果て、何となく寂しい思いに沈んでいる秋の夕暮れ時を選んで、「意外な男」が「意外なプレゼント」を手渡して、恥ずかしそうにそそくさと消える:当然、鈴木の心を測りかねて、SKさんはその晩、考え込むではないですか。

真面目で友人も少ない一人暮らしの女の心を、その細部まで読みとった鈴木一流の心憎い作戦だったのです。そしてその方法は、「サエない男の鈴木」だからこそできることでした。

「思いがけない贈り物」も、宝塚ホテルのプリンではなく「たこ焼き」か「焼き芋」なのです。もしも万が一、私がそんなことをやったら、きっと鼻持ちならないキザと思われて、完全に信用をなくしたことでしょう。

それからしばらくして、鈴木とSKさんはすでに恋人同士になっていました。
世に「美女と野獣」という言葉にあるとおり、美人も度が過ぎると男どもは敬遠するものです。しかしプレイボーイは、男に縁遠いそんな美人をターゲットに、周到な調査と準備をしてから実行に移すのでありますな。

人にはそれぞれの「分」というものがあって、分かっていても、私なんぞには到底真似のできない芸当なのでありました。


 
2008/08/31
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