あの時代は何だったのですか・・・
 
ジョンジョン
  

森田童子の歌を聴いていて、
「うた」という歌があったことを突然思い出しました。
それと同時に新宿西口の情景が瞬時に浮かびました。
あの場所にいたことの懐かしさと不安が入り混じった不思議な感覚に陥りました。
1969年6月私は新宿西口にいました。
催涙弾のはじける音の中を逃げ回る若者の一人でした。
不思議なことにその日起きたことはほとんど記憶に無いのですが、ただ、転んで靴を無くした私にカメラを持った報道の人が大丈夫かと声をかけてくれたことだけをはっきりと覚えています。

新宿西口でフォーク集会が開かれる数年前から各地でフォーク集会は開かれていました。
私は井の頭公園(東京)の野外ステージで(たぶん1967年頃から)行っていたフォークソング集会でギターを持って一緒に歌っていました。
そこではアメリカンフォークあり反戦歌ありプロテストソングありで、一緒に歌った人も一般の人、労働組合の人、ベ平連の人、セクトの人と多様な人々でした。
私たちは歌で反戦を訴え、歌で社会の矛盾を問い・・と信じていました。

しかし西口フォーク集会は70年が近づくに従い変わって行きました。
歌を歌う集会であったものが、徐々にヘルメットを被った人達が大勢参加するようになり。
私たちもヘルメットを被り、黒い旗を持って歌っていました。
集会は平和とプロテストに代わって社会主義、共産主義色が強くなって行きました。
当然のように西口広場には機動隊が入り人々は排除され、広場は通路に
なってしまいました。
また各地の駅や広場で歌うことが禁止され、外で反戦歌やプロテストソングを歌うことはできなくなってしまいました。

70年安保が自動継続にななると少しずつ反戦運動は、私の中では薄れて行き、反戦歌を歌っても空しいだけになってしまいました。
今思うことは。歌は平和に何か為し得ただろうか。
歌で人の命を救えただろうか。ということです。
その問いは当時歌を歌っていた私たちに傍観者達が投げかけた問いと同じものでした。
しかし、私は歌を歌うことで少なくとも反戦平和の意思表明はできたと思うのです。社会の矛盾を歌を歌うことで訴えたと思うのです。

2009/11/02
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