人生まだ半分残ってる
 
日高の鳥さん
  

誰もがこの世に生まれてから数年間の記憶はないはずだ。
幼稚園に通った記憶も、実のところアルバムの写真が頼りだ。
小学校へ通った記憶などは、6年もあった割りには断片的かつ量不足。
いろいろな遊びを考え出しては大人に怒られていた、楽しかった子供時代。
小6のとき大好きだったおさげのナンリチヨミちゃん。いつもいっしょに遊んだスガヌマワタル君。
みんな今頃どうしているだろうか。でもしっかりと思い出せるのはいつも同じシーン。
 
ギターを覚えたのが15歳。このころの記憶はかなり鮮明で、練習風景さえ思い出す。
高校受験が終わった翌日、横浜駅西口のヤマハへ行って15,000円のモーリスを買ってもらった。
合格祝いの先取りだ、と豪語したが、後日ちゃんと横浜南高校に合格した。
高校に入ったころは、時代は安保闘争の嵐が去った後で、平穏な学園生活だった。
オイルショックなどは全く関心がなく、放課後はギターを弾いて歌う毎日だった。
誰もいない教室で、窓いっぱいに夕陽を映しながら、陽水を、かぐやひめを歌った。
 
学習熟など頭の悪い奴が行くところ、女のケツをなど追いかけるな、
勉強するヒマがあるならギターを弾け!と3年間言いつづけ、現役での大学受験は失敗。
しかし、ギターはかなり弾けるようになり、高校3年間で人に誇れるものをひとつ勝ち取った。
こういっちゃなんだが、追いかけなくても女にもてた。
 
こうして高校までの自分を振り返ると、
特別できが悪い訳ではない、性格も普通、健康にも恵まれている、
家族にもとりたてて問題はない。ごく普通の子供時代を過ごした。
やばい思い出もあるが、誰にもひとつやふたつくらい話せないことはある。
つまり、とりたてて思い出いっぱいの素晴らしい18年間ではなかった訳だ。
どうですか皆さん。18歳のあなたはどんな人でしたか。
 
走馬灯のようにいろいろなシーンが、次から次へどんどん浮かんで来る、
などととても言えない。それが残念とか悔しいという話ではなく、
ましてや思い出いっぱいの人がうらやましいのではない。
私には浪人生活後5年間の大学時代があり、少しは勉強もしたが、
結局ギター三昧の学生時代を過ごし、それ以前の18年間の数倍もの経験をし、
いろいろなことを教えてもらいながら一人前の大人になった。
 
つまり、私の人間としてのベースは、18年間の下積みを基にして
学生時代が終わる24歳までにできたことになる。
それは、今の自分のベースができて、ようやく30年が経ったということ。
あと30年生きられるなら、まだ人生半分残っている。
生き物としては40歳で半分かもしれないが、大人の人間としてはまだ半分ということだ。
まだまだ時間はたっぷりある。ガキのころの感傷に浸ってる場合じゃない。
さあ、同世代の職君!培ってきた人生のワザを、貯めこんできた経験を、
そして人生の味わいかたを、ギターでも弾きながら、語らい、歌おうではないか。
 


2010/01/31
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