オヤジと飲んだ夜
 
日高の鳥さん
  

6月4日はオヤジの命日。あれからちょうど10年が経つ。
手術したが、大腸癌が全身に広がり、打つ手がなかった。
しかし、私は覚悟ができていたので動揺はなかった。
葬儀も満足のいくものだったし、勤めを果たした気がした。

だが、今になってもまだ釈然としないことがある。
それは、オヤジがどんな人間だったのか、
本当はどんな人間だったのかが、今ひとつ解らないからだ。
頑固で仕事一筋というと、戦前生まれの男たちにはよくあるパターン。
技術者で、タービンの専門家というと、職人タイプとくくられる。
酒を飲むことが唯一の楽しみで、最後は通風に苦しんだ。
趣味といって特に取上げるほどの趣味はなかった。

私が28歳のとき、一度だけオヤジと飲み屋に行ったことがある。
私はすでに二児の親であったが、家にはオフクロと女房がいたので、
ふたりきりで飲むことは、ついぞなかった。
最寄の駅で待ち合わせ、駅前の縄のれんをくぐった。
しかし、今考えてもそのとき何を話したのか、全く思い出せない。
世間話をしたと思うのだが、記憶にないということは、
当り障りのない会話だったということなのだろう。

あとにも先にも一度きり。いっしょに飲むことはあっても、
ふたりきりは一度きり。いったい何をしゃべったのだろう。
亡くなる寸前は、ついに会話することもできず、最後の言葉も不明。
呼吸が止まる瞬間もそばにいたが、ついにひと言も発することがなかった。
あんなに酒を飲むと饒舌だったのに、愚痴ったり、怒ったり、忙しい人だったのに。
オヤジって結構遠い存在だったということか。少なくともオフクロとの距離感ではない。
男親の居場所とか、存在感とか、いろいろな表現があるが、どれも距離がある。

10年経って、まだこんなことを考えてる私も私だが、
それは、このことがやがて自分に帰ってくるからだ。
どう思おうと子供の自由だが、オヤジって、本当はどんな人間だったのかね、
などと言ってほしくないものだ。
俺の生きざまを見ておけ!俺の言葉を覚えておけ!
そして、俺の歌をきちんと聴いておけ!と言いたい。  


2011/05/29
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