2011年回顧 | |
日高の鳥さん | |
3月11日の大地震は、東日本の沿岸に巨大津波を起こして現地の繁栄を白紙に戻してしまった。地震による被害、津波による被害、そして原発の放射能漏れ。その後全国に波及した自粛ムードは、人の気持ちやこの国の経済まで落ち込ませてしまった。 地球の地震の巣とも呼ばれる日本列島周辺。人がこの列島に住み始めてからずっと経験してきた災害。たくさんの経験と教訓があったはずだが、残された記録、伝えられた言葉は残念ながらほとんど活かされなかった。しかし、おそらく過去の地震のときも同じ結果だったのではないだろうか。相手は自然であり、人間には止めることができない。また、いつ起こるとも知れない災害に対し、いつも緊張を続けることは無理な話である。リスク管理は昨今の社会のキーワードだ。災害に対して構築された防災システムを活かすために避難訓練などが実施されるが、果たしてどれほどの効果があるのだろうか。備えあれば憂いなし、心配はなくなったが効果は不明、何もしないよりやったほうがいい、とあくまで対処方であり、根本的な防衛になっていない。海岸線のごく狭い土地に人が町を作り、山を背にして暮らす構図は日本全国いたるところにある。 東海地震、南海地震のことも考え合わせると、沿岸が津波に呑まれる姿が容易に想像できてしまう。沿岸部には危険物がいたるところにある。被害を拡大させたり、別の被害を作り出す危険物が多いため、さらにリスクが増えている。 原発は正にその危険物の最たるものなのだ。 原発の要不要についての議論はいろいろな観点から行わなければならない。国民があまり知らないうちに、日本の電力を支えているのが原子力発電だった訳で、その電気を使う側もこの重大なシフト変更に無関心だった。原子力というものに対して世界で最も敏感な日本人が、このことを世に問わなかったのは何故なのだろうか。この地震列島に原発をつくることで想定されるリスクを、本当に真剣に考えたのだろうか。まず原発ありきという発想で、否定的、懐疑的な意見を封印したと思ってしまう。 今年は「復興」や「絆」が国民的テーマだったが、元の姿に戻す「復興」ではなく、新たに作る「再生」のほうが的を得ている。「絆」は被災者の人から目を逸らさず、間接でもいいから支援を長く続けることだと思う。一時的な盛り上がりで済ませてはならない。大変な思いをした人たちを忘れてはならない。20,000人にものぼる死者を忘れてはならない。本当にいろいろなことを示唆した2011年だった。 |
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2011/12/28 | |
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