いとしのツララ 
 
日高の鳥さん
  

 3月24日午後8時16分、最愛のペットであるミニチュアシュナウザーのツララが死んだ。この6月には7歳になるはずの、体重6kgほどの雌犬だった。死因はリンパ腺癌。定期的な投薬治療が功を奏し、何もしなければ余命1ヵ月と宣告されたところから2年間生きることができた。愛する者を失うことの悲しみは人間とまったく同じである。ぽっかりと開いた心の穴を埋めるには少し時間がかかりそうだ。

 ようやく犬猫が飼える住まいに越し、新築の家にもかかわらずフローリングの床が爪跡だらけになっても平気だった。室内犬としての躾も優秀で、一度も噛みつかれたことがなかった。家人以外には果敢に吠えかかる番犬として優秀な犬でもあった。いろいろ思い出すだけでも涙がにじむ。自分より先に逝ってしまうことは分かっているが、やはり送るのはつらい。ずっと自分に言い聞かせてきたので、今のところペットロスの兆候はないようだが、家内や息子はどうなのだろうか。

 生老病死。仏教が唱える人間の四つの苦しみ。寿命は生まれたときに天から与えられたもの。事故で死のうが、病気で死のうが、老衰で死のうが、それが天寿ですと僧侶から教わったことがある。そう思うことで諦めなさい、どこかで悲しみを断ち切りなさいということだ。聖書の中でも、すべて運命であり、すべてを受け入れなさいと言っている。失うものがあれば、必ずその後に得るものがあると説いている。神が与えた試練であると。
ツララは犬だが、我が家の子供と同じようだったことを考えれば、宗教の説く死の受け入れ方は理解できる。死について考えるときは、ここにたどり着かないと解決しない。合掌。

  
2012/3/26
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