楚々とした人妻と精力絶倫娘に心ときめく夏の庭
 
(⌒杰⌒)AMAG'Y
  

何の花が好き?
昔っからアジサイ(紫陽花)だね。
最近は、初夏から庭に咲きだすルビナスなんかもお気に入り。

ルビナス、ルビナス、るるるるるぅ~…。
ちがうか?!

花占いの諸説。
誰が考案者?
いい意味と悪い意味と。
花にはなんの罪もない。
いい迷惑だ。

アジサイ(紫陽花)は一見華やかでありながら決して派手ではなく、どこか楚々とした人妻の雰囲気がいい。
色変わりを心変わりとひっかけて“浮気っぽさ”をイメージするなら、なおさら男心をいたずらにくすぐる寡婦のヨヨヨヨ…とした感じが似合う。

ルビナスは別名「昇り藤」。
暑さに弱いというが、初夏から濃い緑の葉が伸びると中心部から鈴なりの藤のようなピンク・紫・赤の小さい花がぐぐっと伸びた尖塔状の茎にまとわりついたまま夏の日差しを浴びて、ぐんぐか上へ上へと伸びていく。

その成長力と前向きな上昇志向がいかにも精力絶倫の若い美人娘を眺めているようで気分がウキウキとしてしまう。

庭のルビナスはその領土拡大ぶりも貪欲で毎年、繁殖を続け、最盛期には1メートルくらいの藤色の尖塔がすばばーんと突っ立って庭を席巻する。

花名の由来がラテン語の「オオカミ」で、痩せた土地でも平気で侵入して土地を荒れさせるのをオオカミのイメージと重ね合わせた、とういう説あり。

ところがいったん伸びきってしまうとちょっとしたにわか雨に打たれて簡単に首がぐにゃりと折れたりあまりに日差しが強すぎると同様にがっくりうなだれてしまうからなんだかカラ元気の根性なしみたいで苦笑しつつも、愛しくなる。

花が終わると大きめの枝豆みたいなさやができてこれがけっこう固くてしかも量が多いので固くて量の多い髪の毛の頭みたいでウザウザする。

紫陽花の花言葉。
移り気・高慢・美しいが冷淡・無情・浮気・自慢家…
エライ言われようだ。

美しいが情の薄い、心の冷たい女の人はけっこう多い。
なぜだか多い。きっと、「天は二物…」のことわざが頭をよぎって、あんなに美人だからせめて性格は悪くしてもらわないと二物どころか「汚物」だらけの俺は報われない。

といった、やっかみがそんな見方を増長している。
そりゃ、美人で気立てがよくて働き者っていうひとも多い。
俺のカミさんみたいに、頭の良さと明るさが魅力という女性もいるにゃいる(のろけか!)

この理屈でいけば、先の花言葉は、紫陽花の気品のある楚々とした美形人妻のことをやっかんだ花言葉作者(ぜったい女だな)が紫陽花さん(もう完全に人格化)をおとしめようと画策したことにまちがいがない。

男も女も嫉妬深いのはかなわない。
紫陽花は酸性土壌で青色系、アルカリだと赤色系の花色になるという。

対する相手によって性格を変える浮気女…
というのもここからきているのだろう。
しかも、紫陽花には毒性があり、牛・山羊・人間が食べると中毒を起こす。

過呼吸・興奮・ふらつき・ケイレン・麻痺から死に至る。これなども、まるで「魔性の美女」みたいではないか!
んー、花言葉も意外と侮れないかも。

フォークソングなんかでも、アリスやふきのとうに「紫陽花」タイトルのソングあり。
歌詞となれば、それこそ紫陽花の花房のごとく。
ルビナスの方もちょっと調べただけでこれまたゾロゾロと。

花の名をタイトルや歌詞に入れ込むのは安易っていえば安易だ。
「〜のように」とか書けば、それだけで即席イメージの出来上がり。

学生時代、森の中を歩いていていかにも野草マニアの散策者に出会うことがあった。
草花を本当に愛していることは、それらの名を良く知っている。
ということもどこかで聞いた。

ヒトやモノの名前を正しく認識することは相手やそのものを誠実に認めていることだろう。
人の名前が覚えられない、あんなに関わりがあったのに再会しても名前が思い浮かばないようなオレは不誠実で心遣いに乏しい輩だろう。

名称と本体が一致しないのも正しい認知がされていない証拠だ。
「荻野」でも「萩野」でも、どっちでもいいだろう。
「すがわら」でも「すがはら」でも、似たようなもんだ。
「やまさき」「やまざき」あぁー、面倒くさい。

言われる側にすれば聞きづてならない暴言も言う側にゃさしたる罪意識はない。
それでもやはり、正しく表記・発言すべきなんだろう。
「おやじ」か「おやぢ」か?

嫌悪と忌避と侮蔑と憐れみと哀愁と加齢臭をないまぜにして、ワシのことはぜひ「おやぢ」と呼んでほしい。

それじゃ、また!


  
2012/06/06
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