アコギでモテようとの煩悩を消滅せしめる方法 
 
(⌒杰⌒)AMAG'Y
  

★(⌒杰⌒)AMA-G'(あまぢい)です。

オヤ応の男性会員に「なぜアコギを始めたか?」と聞けば、七、八割が「モテると思ったから」と答えるだろう。
で「実際に、モテたか?」と再質問すれば、その割合はダダすべりして、二、三割に落ち込むに違いない。

アコギが弾けて歌が唄えるくらいでモテるほど、世の中のオンナは甘くないと気付くのは、四十、五十歳になってからだ。

1970年に中一だったオレがGuitarを始めたのは「嫉妬」からだ。
クラスに小金持ちの一人息子がいて、学校にGuitar(ガット)を持ってきて当時はやり始めのフォークを弾いてみせた。
昔から、金持ちとか美男美女とかエリートとか秀才とかいう人種に根拠のない敵意を持っていた。

そいつの周りにクラスの連中、中には女も混じって集まっては「上手ね」「いいGuitarね」などと賞賛されるのは腹立たしかった。

小遣いを工面して隣町のレコード店にぶら下がりの6,000円のガットGuitarを買ったのが、オレとアコギの付き合い始めだ。
小金持ちの一人っ子に対抗して、今は亡き長兄の部屋からエロ本とともに〔young Guitar〕を見つけ出して練習を開始。

教室でもGuitarを弾いては一人っ子と(オレのココロの中だけで)しのぎを削っていた。
以来、四十年、ずっとアコギを弾いて〔70年代フォーク〕を弾き語りしてきたが、そのおかけで女にモテた記憶はない。

高校の文化祭で軽音楽同好会の連中がおなじくフォークのアコギ弾きでワ―、キャー¢宸ェれていたのに、加川 良の替え歌を歌ったオレはといえばタヌキ顔の同級生から面白かった≠ニ肩を叩かれただけで終わった。

カミさんとの出会いもアコギがらみじゃなかったし、世間の音楽好きたちのようにLiveが縁で浮いた噂の一つも立ってことがない。
音痴、声が変、顔が気持ち悪い、Guitarがド下手…というなら納得もしようが、どれも人並みだと思う。

が、オヤ応会員1,600名の多くが、多かれ少なかれ似たような自負は有しているわけで、どうやらもっと決定的な要因≠ェあるらしい、と気づいた今日この頃。
それは総合力≠セ!

たとえば、ここに超有名人にそっくりな男がいるとしよう。
ぱっと見どころか、かなりな完成度で本物に似ているとしよう。
で、そいつが本物同様に100%、女たちにモテるか?
そうとは限らない。なぜか?どこかが本物とは違うからだ。

顔は似てるが背が半分しかないとか、顔は似てるが声がヒキガエルだとか、顔は似てるが性格が陰湿・陰険だとか…。
つまりクラス別では決勝まで残れても総合戦では地方大会止まりなわけだ。

同じように「70年代フォーク」を弾き語りしていても、アコギの上手さ、歌の上手さ、声質の良さ、ルックス・シャベリなど、アマチュアはアマチュアなりに総合力のあるヤツが、モテるのだ。

プロなら個性的な容姿で凄腕のアコギ弾きもいるだろうし、ド下手のGuitarでも天使の歌声なら売れもする。
アマチュアのアコギ弾き語りは間違ってもそれでオンナにモテようと企んではいけないのだ。

もし、オヤ応会員で、各地のLiveに女のファンが多いなら、まちがいなくその人は総合力≠有している。
逆に、オレのようにいっかなどのLiveでも女にワーもキャーも言われずに来ている人は、どっかこっかに瑕疵≠ェあると気付こう。

「オレはなにも女にモテたくてアコギやってるわけじゃねーよ」と粋がっているそこのアナタ。本当にそうだと言い切れますか?

アンタが弾き語りしているその横で〔加藤綾子(カトパン)〕か〔佐々木希〕がGuitar上手、歌サイコ―≠チて囁かれてニコリとも微笑まないでいられる自信がおありか?

そもそも、オレ自身が自分の人間性はさしてホメられたものじゃないといつも自覚している。
音楽活動に崇高な思い入れがあるわけでもなく、人を感動させられるような波乱万丈のバックボーンがあるわけでもない。
誰かのために唄うとか、今は亡き誰かを偲んで唄うとか、そういう心のヒダをくしゅくしゅさせるような想い≠ネんて持ち合わせてない。

「じゃあ、お前は何のためにアコギを弾き、何のために歌を唄っているのた!」と糾弾したい気持ちは分かる。
分かるが、まあまあ、そんなに熱くならんといてくれ。心臓や脳みそに悪いからいきり立たないでおくれ。

たいしてオンナにも持てなかったオレが四十年アコギを弾き続け、そしてこの先、脳溢血か心臓疾患かガンで倒れるまでそれをやめないのか?

それは……ムズムズする≠ゥらだ。アコギを弾かない日が続くと指やら何やらがムズムズして仕方ない。
オヤ応会員の中にもこういうアコギ中毒≠ヘ多いだろう。

意味もなくアコギに触っていればそれで安心するというような、○ナニーを覚え始めた少年のような無自覚な行為でもある。
習うより慣れろで、月一回の有料ギター教室に通うよりも、朝晩必ずアコギに触っているというだけの方が、確実にアコギに対する密着度と一体感は増す。

握り手の指だこがつぶれて硬化してもなお、たまに弾くmedium弦で鍛えづらい弾き手の指腹が柔らかな痛みを覚える時、オレは真正サドだったのかと思い直すほどに、さらに弾き続け、しまいには指にテーピングしたりして弾いている。

弾き出したら止まらずに、朝から晩まで、昼とトイレ以外は部屋にこもりっぱなしのオタク的アコギ好きも多かろう。
もはやそこまで昇華した精神は、オンナの存在など雲散霧消し、純度100%のアコギ魂のみが現出する。

とまあ、ここまでけっこうかっちょよく書き連ねてはきたが、とどのつまりは女体に見立てたアコギのbodyを抱きつつ、モテぬ心を仮想デートで満足させているだけなのだろう。
鳴るだの鳴らぬだの、箱鳴りするだのなんなのと、小賢しい素人の半可通はよそにうっちゃっておいて、お気に入りの一本にそこそこの価格ながら、真新しいスチール弦をば張り、調弦し、心ゆくまでかき鳴らせばよいだけのことだ。

四十、五十になってもなお、女性欲しきの煩悩から逃れられず、アコギの弾き語りをハエ取り紙のごとくのツールとして利用せんと画策しているなら、いますぐ、トイレに駆け込み、思いのさまオノコの精を発露させ、すっきりとした清々しい顔でアコギと対峙するがよい。

それでは、また♪(*'-^)-☆

   
2012/8/07
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