懐古主義
東田
 

昔がいいと思うのではない。昔の方がいいと思うものでもない。昔がよかったと思うのではもちろんない。漠然としているが、懐古主義ではない。不景気というが不景気ではない。不況というが不況でもない。

結婚する。結婚披露宴をする。子供を育てる。家を建てる。一生懸命働く。海外旅行に行く。ブランド物を買う。携帯でメールをする。パソコンを買う。健康で長生きする。葬式をあげる。

みんながそうしているから自分もする。仲間はずれをみんなが極端に恐れる。企業はそれに乗じて「商品の差別化」という戦略を平然と行う。そしてその一方で、「人権」というもっともらしい名を借りた、ナンセンス極まりない差別撲滅教育を子供に行う。

政治は「マツリゴト」というが如くに全てが形骸化している。意味のない、たくさんの規則や催し事を作り、それを形として執行する。マスコミという営利企業も、金になる国民の為に、ご機嫌伺いだけをする。

自国の防衛をアメリカに任せ、優秀な企業や日本人が外国に出なかったというだけで、ここまで来た国である。金持ちには、嫌になるほど税金が高い国である。それでも一般庶民は常に不平不満を言う。将来が不安だと不平不満を言う。この国の主権は国民にあることを忘れているかのように不平不満を言う。自分達が法律上もっとも権力のあることを知らないかのように不平不満を言う。

そして、金利がここまで下がっていても、銀行にせっせと貯金する。ブランド物のバッグに「20万円が10万円です」というと奪い合うように群がる。年始になると、何が入っているか分からない「福袋」というものが飛ぶように売れる。

企業が提示した、定価というものを基準に物の価値を判断している。食べ物や酒さえも、高い価格の物が旨いと思っている。みんな何を買っていいのかが分からないのである。もう買う物がないのである。必要な物はほとんど揃っているのである。自分が本当に欲しい物すら分からないのである。お腹が一杯なのにまだ食おうとしている状態である。

購買や消費には相当なパワーが要る。本当のパワーが要る。パワーのない者が購買力を無理に誇示しようとするから市場や相場が混乱する。パワーある者は明確な目的を持っている。もちろんその中には、善人も悪人もいる。

結局は各自が自分や社会に対するオトシマエをつけないでずるずるとここまで来たという感じである。誰が責任を取るのか。誰がオトシマエをつけるのか。しかし、誰がと言っている間は駄目である。

責任はまず自分にある事に気付かないと。やばいと思うことを見過ごしてはいけない。世界的にもここ数年が、最後のチャンスかもしれない。本当の基準とは、本当の幸せとは、本当の人間とは、本当の自然とは、本当の平和とは、これらの事を本当にみんなが考えたら、これらの事を多くの人が考えただけでも、人類は相当に進歩するだろう。

「衣食足りて礼節を知る」というが、現在、世界では、未だに飢えている人がたくさんいる。日本では、ほとんどの人の衣食が足りている。
その衣食が足りているウチに、我々がその事を考えないと・・・

今、考えられない人の為にも・・・もう少し時間を戻さないか・・・

懐古主義と言われようとも・・・もう少し、ゆっくりしないか・・・

あんたもどう・・・少しばかりってのを・・・



2002/12/29
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