新年雑感
 …刻々過ぎて行く時間というものに思いを傾けて
 
(⌒杰⌒)AMAG'Y
  

大学を卒業する位まで、そうだなぁ、二十歳ちょろちょろくらいまでかな、同世代とか横並びの立ち位置で、自分と他人を比較することはけっこうあったなぁ。
学校の成績、彼女のあるなし、顔の良し悪し…。

それが就職をして、出世や収入の格差が年齢に関係なくグググっと広がってゆくにつれ、あるいはどう頑張ってももうオレの人生これ以上のモノにはならないなんて、達観っていうのか諦めというか、打算みたいなのが働くようになると、同世代で比べっこしたってあんまし意味ないもなぁ〜と、気づいてきたりしますよね。

そんな時、街や駅ナカなどで自分と似たような禿げてくたびれかけたオヤジを見かけるたびに、胸にササっと去来するのは、あの人は仕事以外に何かに夢中になっていることあるんだろか≠フ思いですね。

よく、定年退職して家にいることが多くなり、仕事以外に無趣味の人は悲しいとか言ったりしますが、今日び、定年延長になり、たとえ年金がもらえるような歳になっても働かないと生活が成り立たない時代ですから、そうなると、<退職→引退→悠々自適の暮らし→楽隠居→左ウチワ…>なんて人は、そんなに多くないと思いますね。

オレが思うのは、たとえば、汽車や地下鉄の車中で、何もしないでただぼぉーーーと吊革につかまっている他人。活字中毒のオレはトイレでも昼飯食べてても本を読むので、車中でも当然、読んでいる。

月に単行本20冊くらい読むペースなので、車中でなにもしないで突っ立っている人を見ると、なんてもったいない、つまんない時間を過ごしているんだろと思う。
それは、余計なお世話で、疲れたカラダとココロをぼぉーと癒やしている、と言われりゃそれもそうなんですが。

同様に、オレはGuitarを趣味にしていて、休みにはそれを弾き、Liveにも出かけて行き、NetオークションでUsedGuitarを物色する。
なんも趣味らしいものがなくて、惰眠を貪ったり、昼酒をかっくらったり、TVを見たり…、そんな彼我を比べて、こっちが有意義であっちが無意味でというのもお節介だ、というのはまったくのお節介。

五十を過ぎて、オレの寿命はあと十年か二十年か、はたまた明日かなんて考えだし、母や兄が死んだ歳を思い出したり、親戚・兄弟、血縁関係の寿命のタカを思い返したりする。
すると「焦燥感いっぱい」で、こんなこたぁしてらんない。
一分でも長くGuitarを弾いて、一曲でも多く歌を唄って、一冊でも多く本を読まねばと、不必要に焦る。

そういう焦ったオレの目には、そんな焦りなどどこ吹く風で、吊革でボォー≠竍休みにグータラ≠ェどうにももったいなく映る。
♪あせってみたって おんなじこと〜♪という気もするが、おんなじじゃねーべ、と思い直す。

いや、実際おなじじゃない、と。

一日24時間というのは、地球に住むすべての人に共通の時間でも、その使い方となると全人口分の違いがあるのではないでしょうか。
「リゲイン飲んで二十四時間働く」つもりはまったくないけど、必要最低限の睡眠と労働と生理的要求に費やす以外の時間の使い方は、よおーく考えなければなんないと思うのさ。

それなのに、オレは今朝、6時に起きるところを三十分もベッドでうだうだしてしまった。
ゆうべも、午前零時にはキッチリ眠りに就くところを、ついソファで、いどこ寝して零時30分になってしまった。
今日は、定時で退社する予定が、突発的なやっかいごとで対応してたら、一時間残業してしまった。

あ゛あ゛ぁあああああーーーー、なんてこったぁー。
ムダだムダだムダだムダだーーーーー。
もったいねーもったいねーもったいねーだよ〜〜。

悠長に構えていると、時間っちゅうのは、ほんとあっちゅうまに経ってしまう。
適当に流していると土日もあっちゅうまにふっとんでゆく。
ここはひとつ、丹田に力を込めて、無闇にあせる心にしっかりとカギをかけて、ひとつひとつの事どもを手堅く丁寧にこなしてゆくしかない。

しかしなんだね、
時間てのはどうしてこうも律儀にも刻々と経過してゆくんだろうな。
心の持ちようで長かったり短かったりするけど、朝が来たらば昼になり、そして夜が来る。
当たり前のことを死ぬまで繰り返してゆく。

家で弾き語りの練習をしていると一時間なんてのはすぐ過ぎて、あっ、と気が付くともう二、三時間てこともあるね。真剣に夢中になってると時間の経つのは早い。

じっとしていても激しく動いていても時間は刻々過ぎて行く。
時間を意識しているとゆっくり感じるのに、それを忘れているといつの間にか経っている。

よくよく考えてみると「時間」てのはとても不思議だ。
それを忘れて暮して行けたらきっとすごく気が楽だろうな。
起きる時間も会社に出る時間も気にせずに、目が覚めたら起きて腹が鳴ったらご飯を作り、眠たくなったらbed、という風に。

時計や暦を持たない民族が幸せだ、とは単純には言えないなぁ。
なけりゃ無いで、先の計画を立てることもできないし、残り時間の使い方も工夫できない。
意外と過ぎてしまったことはすぐ忘れる方で、むしろ少し先にある心配事がすごく気になる。

車の運転と同じで、すぐ目の前じゃなくて、少し遠い方を見ている方が、生き方も安定するのだろうか。
会社経営のような中長期計画なんて、立ててみたところで砂の上のお城のように儚いだろう。一歩一歩、足元を確かめながら着実に、というのも選挙演説のようで空々しい。

そこで、ちょっと考えてみたんだ。
オレが思いを巡らせてあれこれ手を打ち段取りを考えられるのは、せいぜい今月と来月の二か月分くらいだろうってことを。

今月ひと月の予定はおおよそ見えているから心づもりも段取りも立てやすい。
来月くらいのことも、いまから準備しておけばあわてないで済む。
いいところ、このふた月くらいのことを考えながら暮らしてゆくのがいいのかもしれません。

それより先のことは、そうたとえば、家族や自分の誕生日が休日なのかどうかとか、
三連休が難何回くらいあるのかとか、そんな楽しいことだけ心に留めておくことにします。

それでは、また♪(*'-^)-☆

   
2013/01/29
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