ほんとGuitarが増えると置き場所に困るよね 
 
(⌒杰⌒)AMAG'Y
  

Guitarの所有本数が増えてくると、ほんと置くspaceが無くなってきて困るよね。
カミさんに処分しろと言われて泣く泣くNetオークションに出品、という話もよく聞く。
単なる出品理由の言い訳、もしやねつ造?虚言?同情買い?かもしれないが、そんなことするなら何本も買わなきゃいいじゃん、というのは独りモンの戯言だ。

さんざ苦労して小遣いを工面して手に入れたGuitarを、カミさんのひと言がけっこうなカウンターでズシンと効いて、嫌々手放すしがない切ないこずかい生活者の悲哀。
そういうものをアンタはちっとも分かっちゃいないんだ。

また、そんな冷遇され過酷を極める監視下で地下に潜行しながら、コソコソGuitar集めにいそしむ所帯持ち子持ちカミさん持ちの愉悦を知らぬ、チョンガーおのこの無知で厚顔腫れコーガンぶらぶらの減らず口だ。

幸か不幸か嫁さんの来手がなくて稼ぎの使い道は無審査・無許可で自由になるような人間には、魚の脂臭いアパートで逃げ回る小鼠のようにコソコソとカミさんの目を盗んで新しい一本を手に入れなければならない者の、密かなスリルとワクワクドキドキキャンプの愉悦は永遠に理解できないだろう。

普通の民家、普通の庶民で、家族がいるおやぢが増えてきたGuitarをどのように保管しているのか、とても気になるが、よほどの大きな造りの家でもない限りその工夫なんてのはオレと大差がないのかも。

弾かずに押し入れや物入れや倉庫に仕舞いこんでおくのならいざ知らず、常時弾けるように手もとに置くとすれば日常生活を送るどこかの部屋に置くわけだろう?

それをカミさんをはじめGuitarやFolk Songに理解もシンパシーもジバンシーもない家族から邪魔者扱いされないようにするためには、なんかかんか菅野美穂のプラスアルファのアイデアるなんであるのピピンと来るような画期的工夫は、そりゃあるかもしれない。

窮鼠猫を噛む旧ソ北に絡むの譬え通り、人間どん詰まりの土俵際ではけっこうな閃きを発するもんだ。

オレが生まれた田舎の実家のように部屋が11もあって、おまけに使われていない蔵などがあれば、いまごろこんなに禿げた頭を土瓶蒸しのように悩ます必要もカミさんの視線に怯える隠遁の日々を送る必要もない。

あるいはもっと甲斐性があって稼ぎもバッコンバッコン華厳の瀧白糸の滝のように降ってくるようなら、自宅をリフォーム増築するなり近所の空き家を家主の足元みて安価な家賃で借り上げ改造してGuitar専用置き場にしても良いのだが。

注文住宅の○サワホームには「蔵」なる企画のハウスがあって、天井高は低いが天井裏を改造した物置専用スペースが出来るplanningがあって、いつもいいなあれはいいなああいう家を造れば良かった、あしこの家つくり請負会社に発注すればイカッタと、臍もヘソも爪までハンケチまでも片手持ちにいじいじ噛みながらうらやましく思ったものだ。

なんもGuitarなんて座って弾くものだし、Guitar本体もwoodベースやハーブなどとは異なり、Hard-case込みでもそれこそ高さ100センチちょっとのものだから、ああいう「蔵」が家の中二階に誂えられれば、アコギの十本や二十本、もしかしたら千六本くらいは平気の平左神田の平次清水の次郎長ほどにも大威張りで保管かつ弾き語り演奏などできちゃうだろう。

○サワホームに施工発注しなくても最近流行りの女の娘おしりの大きな女の娘のようにリフォームなどできればいい。
昔、そうさなざくっと四半世紀も前に、先日身罷った蝦夷江氏の会社、仮にR社としておこうか、そのR社の端っこにぶら下がって、地方拠点で住宅関係の制作の仕事を月の三週間休みなし深夜・朝帰りも朝飯前夜食頻繁過激・激務の中でやっておった関係から、住宅の建ぺい率とか容積率とかいうことも知っておるのだぞ。えへん!

で、その率からゆくとワシの家の容積率には大日本帝国の定める法律的にはまだ余裕がありいわゆる建て増しというか増築が可能姉妹なのだ。

んじゃ素早く建て増しすりゃいいじゃんとかいう人もけっこうそこいらにいたりするが先立つ不幸先立つおあし先立つ○ンポというものがこれまた見事なまでに無く、地元の大工や工務店だとて地産地消の精神から地元民の建て増し発注には格安割引適応で対応させて頂きますはいどうぞという流れにはゆかない。

ま、無知と無茶加藤茶を承知で言えば理想形夢想系萌え萌え系の企みはあるんだわ。
世に言うところの「畳二畳は一坪」の換算式劇団四季から導き出すに「六畳間」くらいのspaceの増築が実現したのなら、Guitar置き場&弾き語り用椅子&物書きテーブル&楽譜置き場&Guitar小物置き場&譜面台置き場くらいは含有できちゃうだろう。

○友不動産とかいう大手のハウス系の会社ではなんちゃって新築とか物まね新築たらのコピーを旗印に、全部はぶっこわしません使えるものは再利用することにして建て替えよりはお安くリフォームよりは割高に、古くて不便でみったくないアンタのお家を見目も美しくかなりな鼻天狗で辺り近所にも見栄が張れるくらいに仕上げますと宣伝している。

こういうニッチもサッチもミッチーもヨッシーもピーチ姫もわきまえた様な隙間産業的な目の付け所が不景気な現代の風潮時流に合致してか、近所にもこれを採用してそれを実行してあれをアレしてコレした家が何件かあるのを見かけたことがある。

これだとせこせこリフォームでせめて「六畳間」くらいはなんて弱弱しい犬が股に尻尾を丸めたみたくみみっちいことをほざかなくても、図面を片手にくちびるにバラを小脇に小涌園を抱えながらGuitarシフトの間取りが組めるかも下賀茂上賀茂神社清水三年(寧)坂なのだ。

それじゃあとうとう我家も劇的大改造を劇的匠に依頼して劇的な製作費で劇的なリフォームをしてこましたろかと思いきや、そこはそれそれメンそーれ先立つおあしどころかまたぞろ必要に迫られる急な出費が開いた傷口のようにかさびたが形成されるのももどかしいくらいに、間断なく出血大サービスチンチンじゃらじゃら開いたチューリップの惨事がしゅったいしたために、二十七本のGuitarは火サスの霊安室哀れな遺体の如く白いシーツをかぶされたままで寝室の隅っこでヒザを抱えてうずくまっているのだった。

それじゃ、また!。.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))


   
2013/03/12
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