私のハンドルネームが、ラルフな訳 
 
ラルフ
  

私の ハンドルネーム『ラルフ』と言うのは、仕事で知り合った(今では親友)友人の名前である。

私の仕事は、千葉にある、旧川の付く製鉄所の工事部隊である。その工事部の工事室長を、していた時の話である。

約10年位前、久々関東に、新しい線路ができた。
『高速臨海線』 新木場〜天王洲アイランドを経由して大森駅まで行く線である。

新しい線路ができると、それをメンテナンスする工場が必要なわけである。
仕事は、電車2両分を持ち上げ、減った車輪を溶接肉盛りして、旋盤と言う機械で切削加工する為のジャッキアップシステムの機器据え付け工事だった。

電車一両は長さ約20mで二両で40m程になる。
その他余裕やら機器があり、工場はバスケット場4面ほどの大きさです。

受注形態は、購入先 ドイツ パフ社→川崎重工(日本での引継ぎメンテナンスの為)→弊社である。
川崎重工から英語に堪能な監督を出してくれとの言。
部下は皆ブルって私に押しつけた。神戸の震災時アメリカ人とのやり取りを、私が 北海道なまりの英語で話していたからである。

ドイツからは、その工場に輸出したパッケージを図面通りの番号順に置けとのFAXが一枚のみであった。
輸入品は、必ず、パッキングリストと言う、部品表が送られてきます。部品数約1000点 アイテムにして150点くらいだった。工事日数は約10日間、1000点の部品を組み付けるのにどう考えても、1ケ月以上の日数が掛かるはず。それも図面もよこさず 『我々が行くまで、事前工事をしていろ』と言う文面だった。

事前工事とは、その工場に約4m角の深さ約4mのピット(四角い穴)が4つ、約20m間隔と5m程離れて20m間隔のピットが2つ計4つであった。

本線からレールが来て、その各々のピットにレールが1m程突き出しているのです。
土建屋さんはミリ単位でコンクリートを打てませんから、余長と言う事でピットにレール1m程出して、上屋を立てて引き上げた。

私ら機械屋はミリ単位で据え付けをします。列車の長さはミリ単位であり、当然ジャッキポイントもミリ単位で据え付けなりません。

まずそのピット(深さ約4m)に、レールを規定長さに通り切る為の足場を作ります。
今度はスケールで、長さを指示された通りの長さで切るのです。車輪ごと車両を持ち上げるのですから。
車輪(バギー)約4m程のレールがジャッキによって上がるのです。
ガソリンスタンドのジャッキの化け物だと思ってください。
一車両は約40トン程、あります。車輪は7トンほどです。

レールを1か所切るのに機械をセットし切断終わるまで約一日掛かります。
4ピットレール2本それの上流側と下流側、計16日かかります。
足場・休憩所の設置・機械の移動とかで、約1か月間の事前作業です。

私は、約1か月間・職人に寸法指示し、あとは繰り返しの作業ですから暇でした。1月後ドイツからチーフの『ラルフ・ハンセルマン』以下5名が来ました。

機械品の輸出・輸入は、すかし箱と言って 中が見えるように格子状に組んだ木箱に入って来ます。
私は考えた、(暇だったし)パッキングリストを見て、一番重たいのはなんといってもジャッキだった。

1台約1トンそれが24本、私は職人に、生意気なドイツ野郎に負けるなと言って。
組立手順書を鳥瞰図で書いたのです。

1月後、ドイツ人が来た。開口一番 『これ誰が書いた?なんで我が社の機器の絵が描けるのだ?図面も出していないのに?』でした。

私は、この道40年、まず一車両から 車輪2軸長さ約4m、それが20m離れてあるのです、それが2両連結、車両2両を、ジャッキアップする為には、ボディージャッキは、1ピットに、運転席側と助手席側2本必要です。

台車(車輪部)は、レールごとあげるはずだから、1ピット(車輪2軸)に対し、4本ジャッキが必要と考えた。(飛行機の車輪のジャッキ位の太さ)
1ピットに、ボディージャッキ2本 バギージャッキ4本、計6本×4ピットだから、計24本必要なはずである ビンゴ!

日本のレールはレール間隔が1067ミリ(狭軌)新幹線は広軌1435ミリなのです。ですから横長座席の(一般車両)座った膝の位置あたりに車輪があります。ボデーはもっと広いのです。

ボデージャッキとバギージャッキの位置関係が分かった。でも、車輪の真下にバギージャッキ(車輪持上げ様)があると、奥の車輪が出せないだろうと考えた。
だから バギージャッキは 頂部がL の字型になっていて、奥の減った車輪が出る(かわせる)構造になっているはずと考えた。 ビンゴ!

次はレールである 前の車輪が良くて、奥が悪く(減りすぎ)て、再加工が必要になり、前のバギー(車輪)をレールごと上げたら。
奥から来たバギーが ピットの中に落ちてしまいます。
だからレールの下に 再度レールが来るはずと考えた。

上げたレールの下にまたレールがあり、上のレールで、引き上げるか?何らかの方法で、仮レールが上がって来るはずと考えた。

ドイツ車を思い出した。ガスばねで、トランクが 開く車が多いのです。ガスばね。事務椅子にも使っている。 ビンゴ!
今度は、ばねで上がってきた仮レールを何らかの方法でロックされるはず。7トンの重量に耐える(ガスばねは、耐えられない) ビンゴ!

そんなわけでほぼ構造が解り、配置も日本の車両ですし、ジャッキポイント等車両を見学し、完全な組み付け図を書き上げた。

工事半ばに、香港に収めたジャッキに不具合が発生した。
ラルフが、香港に行き点検修理をし、トンボ返りをすることになった。
彼が『Mr 田中を連れていきたいと、川崎重工の監督(関西のフォークシンガー)に言った。ラルフは川崎重工と川崎・・だから同じ社員だと思っていたみたいで・・』

工事が終わり慰労会を 臨海鉄道(発注先)が、してくれることになった。
その席で ラルフが『私は世界中に、このジャッキを付けてきたが、
Mr田中が世界で一番だ。英語が堪能なら自分の会社につれて行きたいアジアを任せたい』との、お褒めの言葉・客先も私の工事や図面に感謝し別れた。これが 私のハンドルネームがラルフとなった訳である。

パート2 その後談

二次会で、ドイツ人だからビール
恵比寿の札幌ビール園へ、客先・丸紅・川崎重工・私 20人くらいだった。

臨海鉄道の幹部が、皆で写真を撮ろうと言った。
酔った勢いで、『工事期間は皆、英語(片言)でしゃべっていったじゃないか、女の子に英語でお願いする事と日本語禁止』と命令!!

私の工事用デジカメで、丸紅はその道の輸入担当者だから英語OK。
色んな場所で ドイツ人と中国人の組み合わせで飲んでいると思われた。
盛んに 皆・発音の悪い、英語!(話す方も下手なら・聞く方も下手)で若いお姉さんにアプローチ。

最後に私の番になった。『エクスキューズミー・フォト・・・・・OK??』
結構通じた。しかしその時、フラッシュがその時光らなかった。客先幹部が 思わず『田中カメラどうしたんだ』と叫んだ。周りにいた おねーちゃんに、ひんしゅくを買われた、日本人だと、ばれたのです。(笑い)

パート3 その後談

2011年3月11日 震災の日 
ドイツの新聞でまず、市原市(私の町)の大爆発の写真。次ページが釜石やら・東北各地の津波の写真。外国人は皆、千葉成田は必ずわかっている。ラルフとは、誕生日や、クリスマスカードのやり取りをしているので、私の住所知っているのです。

市原市は、大爆発と津波で全滅・私も死んだと思っていたみいだった。
メールが再三来たが、津波も大爆発も関係ないし、工場の復旧で忙しく、パソコンも開く暇がなかった。

数日後、えらい長たらしいメール、死んだか?家は大丈夫か?(彼は日本に来たら必ず私の家に泊まるのです。市原市は羽田直行バスがあるし 成田行きもあるから便利なのです。)福島の原発は近いのか・・・・・?

彼の家では大騒ぎになっていたらしい。急遽9月にドイツに行って、旧交を温めた。ドイツ『オクトーバーフェスト』で原語で『乾杯の歌』を歌ったよ!

♪Ein Prosit(アイン プロージット) Ein Prosit(アイン プロージット)♪

                      
2013/10/23
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