母の死 
 
日高の鳥さん
  

もういつ死んでもいい、と言うようになったのは半年前。じょうぶが取柄で医者嫌い、12年前に連れ合いを亡くしてからずっと独り暮らし。その日いつもの時間に風呂に入って髪を洗い、その直後浴室マットの上で眠るように息を引き取った。足を滑らせたり、つまずいたりしたのではなく、眠り込んだように。その11時間後、翌日の昼前に母を訪ねた私が第一発見者となった。それは秋の彼岸のことだった。

警察の事情聴取に応えながら、母の健康状態について何も知らないことに気づいた。健康だと思っていただけで、2ヵ月に一度顔を見るくらいでは本当のことは判らない。血圧が高かったかどうかさえ答えられなかった。その後の検死の結果、死亡原因は脳内出血の疑い。おそらく以前にも軽い内出血があっただろう。しかし母からのSOSはなかった。誰にも面倒をかけたくないという気持ちが、口を封じてしまった。そういう母だった。

確かに誰の世話にもならなかった。私たちの知らない間に人生を終わらせてしまった。しかもごく自然に。まったく見事だ。身辺整理もついていて、幕引きも手際が良かった。何もしてあげられなかったが、本当に手も足も出なかったのだから仕方あるまい。葬式は自宅でと言い続けていたので、そのとおりにした。38年間守り続けた家はまさに母そのものだったので、さぞ満足だったろう。

子としての役割はこれで終わった。私が先に逝かずによかったと思っている。いかに死ぬかはいかに生きるかだ、という大命題があるが、余命がどれほど分からない。しかし、今後は自分と家族のことを考えればいいのだ。何せいっぱい教わった、母には。


2013/11/13
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