おいら一抜けた 
 
ラルフ
  

私は、北海道の中都市の、酒屋の次男として生まれた。
親父は、世の中のケチを一人で背負っている人間だった。
昨年亡くなった、家族は皆喜ぶほどの人間だった。私も葬儀に行かなかった。

 戦争から帰って来て、頭がおかしくなっていたと、思っている。
私達には 常に『今は軍隊が無いから 精神がたるんでいる、軍隊では皮のスリッパでビンタだ、と言って よく兄・私は殴られた、ひどい時には“でれっき”(北海道でストーブ中の石炭の塊を崩す、丸鋼9mm*1mカギ棒)で叩く。
またあるときは 五つ玉のそろばんで 顔面をたたくそんなおやじだった。

 いう言葉は『あると思うな 親と金・親孝行したいときには 親はなし』  『商家の倅に学問なし』兄は 中学を出て働きに出た、当時はまだ集団就職があり、中卒で就職するのは あんな時代でも1割くらいだった、町柄もある 私の町は 北海道で唯一の工業都市・新日本製鉄(富士製鉄)の 城下町であり俗にいう 職工の町で やはり親がいい教育を付けさせる雰囲気があった。

 私は小さい時から、勉強が出来・先生が親父と交渉してくれ、工業高校に入学した、もちろん進学ができないから、街並みは三交代の職工さんの 社宅平屋の六軒長屋 それが果てしなくあるのである。

 隣近所では、財産家の家が?と思われていた、職工さんをバカにし、強い物には、媚を売る、典型的なプチブル(中産階級)だった。そんな親が大嫌いだった、また考え方も嫌だった。兄も私も頭がよくなんでも一番だった、兄は床屋の丁稚奉公に出され、それでもいろんな苦労をし、ある日『もうからない』と言って、夜の商売を始めた、カラオケは抜群 ゴルフシングル・自分の学歴の無さを 晴らしているような人生だ。

 私は小さい時から 絵がうまく・担任はだいたい絵の先生だった。勉強はかなりでき、学校代表は必ず私だった。小学生の時にベトナム戦争がはじまり、中学生で、安田講堂の陥落を見る、中学時代に読んだ本はお決まりの「マルクス・レーニン主義」「フロイト」サイエンスは「確率論」「進化論」「ユークリッド幾何学」「相対性理論」その他三島由紀夫から松本清張 姉は『お前は 百科事典を枕に寝ていたねと言われる『小学校4年生から読み始めた 平凡社の百科事典34巻 小学校6年で読み終えた』体力は いずれ親父に復讐の為 体はマッチョである。中学に入り本も膨大な量になるにつれて オヤジの言う事がおかしいと思い始めた、お決まりの、ドロップアウトである。

 親の家を出て、働きながら学校へ、怖いものは無い、親の金で生活していないから、誰からも非難されない、朝新聞配のバイト・同じ地区に 長髪の牛乳配達のお兄さん 彼と新聞と牛乳を交換し親しい中になった、彼は革マルの闘志だった。そんなこともあり左翼思想に感化されていった。ただ小さい時から親に可愛がられないから読書、そのおかげで博学であった私には 左翼思想の危なさを予測できた、中庸 べ平連に席を置いていた。ギターは小学校4年生から始め 当時はお決まりのフォークソング反戦歌である。心に衝撃を受けたのは 高石ともやさんの ホーチミンの歌・労働者とはいえ・神様の 山谷ブルース・友よ・おいら一抜けた・『見る前にとべ』でした。

 高校は夜学に変更 大麻事件・支笏湖湖畔コンサート(中津川を真似して)
生徒会活動のもめごと、10.21のデモ 結局・思考的偏向性があるという理由で全日制を追われ 数年後校長が変わったのを機に 定時制へ編入した。高校生・大学生の間で カリスマ的存在であった。地元に象徴的公園があり、そこに数日顔を出さないと、セクトを外して探された・私服に捕まっているんじゃないか?私の周りは 公安私服が常に取り巻いていた、最悪は借りたアパートに、時間を問わず男女が出入りしている、要注意人物であった、そこを拠点にし、ミニコミ誌、ビラ作り、はらはら時計は送らってくるし、ジョンレノンと小野ヨーコの全裸写真の本は取り上げられるし、斉藤和は出るし、しかし、過激になってくれるにつけ 心は離れて行った。

 すべてを封印しギターも置き サラリーマンになった。仕事では頭角を現し、どんどん面白くなった。彼女もでき結婚・子供も3人出来順風満帆であった。

 会社を変わり 千葉の製鉄所で働くようになった。私はノンキャリで管理職になった、売り上げを今までの20倍にし、専属の役員が付くようになった。3代役員に仕え、2代目とそりが合わなく、その役員は東大出で、ノンキャリの私が、室長として仕切っているのが面白くなかったのである。

 55歳で室長の任を解かれ 体を壊しリハビリーを兼ねギター再開
今12月6日で60歳 月末で退職である。

 先般 応援団メンバーの一人と会談、その時 彼もベ平連だったと話され・むらむらと昔の記憶がよみがえった・また40数余年やっとサラリーマンから解放されるのです。今まで封印されてきたものが、解放されるのです。雇用延長はしない。

 記念に免許証の裏の、臓器提供の欄に●を付けた。反原発・平和主義・企業戦士になってから封印してきたものを開放し、接待・組合対策・部下を出張に行かせた場所の地回り対策これらを封印する。

 あと一月で 『おいら一抜けた』だ。


2013/11/18
<<戻る