訳あって、SPにはしばらくご無沙汰中 | |
(⌒杰⌒)AMAG'Y | |
訳あって、SPにはしばらくご無沙汰中の★(⌒杰⌒)AMA-G'(あまぢい)です。 Liveなんかでネタ曲(演奏する曲目)を選ぶときに三者択一で、よく迷う。 A→聴いている人たちがよく知っている曲をやる。 B→聴いている人が知らなくても自分のやりたい曲をやる。 C→聴いている人が知らないような曲をあえてやる。 今まではBかCのスタンスでやってきた。 Aのような、イカにもタコにもウケ狙いの小賢しさが嫌だったから。 Cの場合は明らかに確信犯で高いレア度の選曲に感嘆の声が上がることで悦に入る、というイヤらしい下心があった。 Bの場合は、プロでもない自分がなぜ聴き手にオモネなくてはならないのかという、青くさい孤高気取りが鼻につく。 どうせ人前で弾き語りするなら退屈されるよりウケたほうがいい、と考えるか。聴き手の反応より今、自分が唄いたいものをやらないと弾き語りしている意味がない、と考えるか。 なかなか結論はでない。 何がしかの出演料があるとか、主催者の依頼が事前に設定されているような場合は、答えは簡単だ。 前者は、やはり聴き手の世代とか場所をわきまえて、それに見合った曲を準備してゆくし、後者は先方の意向に順応した曲をリストアップすればいい。 難しいのは自分自身も(時としてけして安くはないほどの)参加費を払って、聴き手側もそのジャンルに精通している、あるいは本人たちも弾き語りストであるような場所での選曲だろう。 この場合、60年代の「歌声喫茶」よろしく、聴き手に合わせた選曲で臨み、果ては手拍子や後追い歌唱などを強要する、オレがもっとも毛嫌いする一体感喪失パターンに陥ることは、気を付けなければならない。 だとしたら、ここはひとつ、「これは知らんだろう」というような、コアでレアな逸曲を探し出して練習し、自尊心の強い聴者の無視は袖にして、向学心のあるニュートラルな聴者の視線を身に受ける、というのがアマチュアシンガーとしての矜持ではなかろうか。 聴き手に回って他者の弾き語りを聴いている場合、彼の人が非常にステージの座持ちが上手く、客乗せも巧妙で、けっこう場が盛り上がっているようなシーンでは、オレの心の深部はかなりの度合いで氷点下以下に冷え切っている。 逆に、MCなんか正直つまんないくせに、選曲が頗る凝っていて、しかもアコギテクも中級以上セミプロ未満という、アマチュアとしては絶妙にツボにはまっているレベルで、歌もそこそこ上手で、かつ腹から声をだして、いやらしくない程度に感情がこもっている、さらには、(アマチュアにありがちな)唄いながらやたら顔を揺らすこともなく、目線が右上斜めあたりを浮遊している。こういう人がステージに出てしまうと、オレの目は重量級の玄能で五寸釘トテテテテと打ちこまれたみたいに、まさしく釘づけ≠ノなってしまうだろう。 で、最近こうすればいいんでないか、という境地に達した。 すなわち、場所と相手をわきまえてやる。 何のことはない、社会人として当たり前の、NPO、じゃない「TPO」だ。 スタンダードな曲の方が聴き手もなじみあり、演る方も気負わない、そういう場所では、自己を制して素直にウケを狙いに行く。 挑戦的なスタンドプレーがその場の沸点を上げるような場所では、意欲的な選曲で冷ややかな空気にも厚顔無恥の意地を貫く。 どのみち尾道、アマチュアなんだし、主体はあくまでも自身のあるわけで、ウケなかったといったところでアルバムの売上に影響が出るわけでもないわけで、のりのりの盛り上がりで大うけしたところで年末の一時金が増えるわけでもないわけで。 忌避すべきは、「堅いことは言わないで和気藹々と楽しくやりましょう」的な、日和見のいいフリこいたクラス委員的な、鼻持ちならないことをノタマウ輩だ。 ああー、つくづく相方などいない、ソロの弾き語りストでよかったわい。 世の真面目な音楽家たちの反感を買いつつ…。 それじゃ、また! |
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2014/09/28 | |
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