何時の日か 
 
覚醒爺
  
「ああ、あの時、お先など何にも見えへんかったのによう生き残ったなあ!」
といえる日を夢見て、・・・と書いたのは2003年4月。

あれから13年当社は生き続けています。よう生き残ったなあと思う。
何回かもうあかん!と思った瞬間がありました。
けれど(本田宗一郎の所謂)『火事場のバカ力』
で切り抜けてきました。ですが今回はほんまにきついことになってしまいました。
遂に新自由主義者の餌食となってしまったのであります。

このままずるずる店を続けるか・・・
しかし縮小均衡してでも存続させるためには
最低限の売り上げを新規事業でカバーしなければなりません。
果たしてカバーできるのか否か・・・定かで無いのです。
モノにならなければ赤字だけが膨らんで行く。判断を誤れば借金だけが残る。
どっち転んでも死ぬだけなら行くしかないのでありますが、
いま商売を止めれば最低限債務無しで中締めは出来ます・・・が、
今年59歳のおっさんに仕事は残されていません。
残っていても最低賃金のパートぐらい。
年金が出るまでの6年間最低賃金、非正規でどうして暮らしましょう・・・悩む!

さあ、遂に奥の手の出番のようです。
『出逢いは別れの始まりなり』いやはやその時が来たのかも知れません。
『どうせ俺の方が先にくたばるんやから早いか遅いかの違いだけ』
と言い聞かせてはみてもやはり一抹の寂しさは抑えられません。
お金になりそうなところを全部処分したところでせいぜい1年分の倹約生活費になるかならないか、かと言って・・・、
生活費もままならないのに高価なギターを複数本寝ころばしておくのはなんとも理不尽。
複雑です。
でも本当に最後の最後はお別れしかないのだし、やはり処分する外ないのでしょう。
売却しても大したお金にならない国産ギター数本を終の友とし
決断する時が来たのかもしれません。

これまで何回か危機的状況はありました。この山が最後の山やと思います。
最後の勝負!
『店はお客様のためにある。私たちの仕事はお客様の役に立つこと。損得より善悪が大事である。』
という経営理念、生活信条は絶対厳守しつつも『どんな汚い手どんな手段』を使ってでもこの勝負絶対勝って見せます!

合掌


2016/02/28
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