本気で不真面目に生きること
山下
 
先週の日経のコラムで、国際調査機関が実施した若者対象のアンケート結果で日本人の若者の6割強が「人生を楽しんで生きる」のを人生の目標と答えたことを引用して、日本の製造業の将来は極めて暗いという主旨のことを書いていた。

しかし、よく考えてみると物づくりは本来楽しいものであり、楽しくないと感じるのは、現在の製造業のあり方が大量生産時代の構造から進歩していないということの証ではないのだろうか。そして、この大量生産の構造から抜け出させない限り、生産コストの安いアジア諸国に物づくりは席巻されてしまうことは間違いない。

現代の日本は、価値観の面も含め、根本的な構造改革を迫られているわけだが、今の若者が「どうすれば人生を楽しんで生きられるのか」を真剣に考え、“自ら”の意志で何かを始めなければ、新たな構造は決して生まれてこないだろう。そして、楽しさがないところに、新たな構造を作り出すだけのエネルギーは生まれて来ない。

過去の近代日本の歴史の中で、我々が今直面している変化に匹敵する変化が2回あったといわれる。1回目は明治維新であり、国家権力のあり方が根本から変わった。そして2回目は終戦。政治も経済もすべてチャラになり、何もない段階からのやり直しであった。

しかし、現代の変化は、権力の所在も変わらず、目に見えるものは高度成長の時と何も変わらないという中、巨大な圧力が静かに弱者である個人の精神と生活を侵しながら、押し寄せてきている。

真面目に生きるというとき、その「真面目さ」は過去の常識に沿って生きることを指すことが多い。かつては「真面目に」生きていれば、報われる世界であったものが、今では国際競争力のないものとして、多くは捨てられる運命にある。

もしかすると、現代日本の閉塞感を打破するには、「不真面目に」「楽しく生きる」ということに本気で取り組む必要があるのかもしれない。

そして、我々“戦うオヤジ”の世代は、70年代という大多数の国民が幸福感に包まれていた高度成長の中で社会に矛盾を感じてフォークで自己主張をし、体制も自分自身も否定することを経験してきたはずだ。
そんな世代だからこそ、価値観の転換が求められる今の時代に「本気で不真面目に、楽しく生きる」ということはどういうことなのかを、若者に示すことが出来るように思うのだがいかがなものだろうか。



2003/01/17
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