Tsugeのブルージー・エッセイ
 ある日僕は、美味しそうなブルーズを見つけた Vol.1
Tsuge
  ●シバさんとの出会い●

もうふた昔も前、1980年代中頃の話だ。当時の僕はまだ高校生、友部正人さんや高田渡さん、加川良さんといったURC系のフォークシンガーに夢中だった。本郷にある高校に通っていた僕は、学校の帰りに日々、神保町や新宿へ繰り出し、中古レコード屋に足を運び、必死になってアルバムを探していた。女の子も魅力的だったけど、音楽の方がダンゼンだった。そして当時「幻の名盤」とされていた加川良の“駒沢あたりで”を発見した時なんか、小躍りして喜んだものだ。

しかし巷では後に「ジャパメタ」と呼ばれた、国産のヘビーメタル第一世代が全盛を極め、アコースティックギターやフォークソング、特にアングラ物は世間から忘れ去られた存在だった。ギターソロ音楽は中川イサトさんのそれくらいしか(情報が)なく、インストなんて言葉も知らない人の方が多かった。そして僕は学園祭で高田渡の“自衛隊に入ろう”や岡林の“手紙”、赤風の“まぼろしの翼とともに”などを唄い、変人扱いされていた。

その頃僕には、非常に気になる1人のシンガーがいた。彼の名はシバ。貧乏のあまり河原に生えるタンポポを食べ飢えをしのぎ、歌をうたい、漫画を書いていたという伝説のブルーズマンである。(このあたりの伝説が武蔵野タンポポ団のネーミングになったと思われるが、定かではない。)高田渡をはじめ多くのシンガーが彼の歌を取り上げていたが、皮肉にも情報は全くなく、レコードも全て廃盤。オリジナルの音を聞く術はなかった。(当時のシバさんは唄っていなかった。)また、昨今のようにITもなかった時代ゆえ、そのテの音楽を好む人に出会える訳もなく。僕は前出のシンガー達を経由し、シバさんまでたどり着くことができたのだが、その実体はまったくつかめなかったのだ。しかし、拾う神はあるものだ。中川イサトさんの企画でRE WINDなるコンサートが開かれることになったという情報をつかんだ。

そのRE WINDにシバさんが参加するのだと言う!! これは僕にとって、天地がひっくり返る程のニュースだった。思い焦がれたまだ見ぬ文通相手に、始めて逢いに行くようなものだった。僕は期待に胸をときめかせ、今はなき渋谷ライブインへ向かった。冬の寒い日だったように思う。そしてその男はステージ仁王立ちしていた。 初めて間近で見るシバさんに、僕は完膚なきまでに叩きのめされた。本望だった。当時の僕は友部正人フリークで、彼の都内のライブには殆ど足を運んでいた。その関係で居合わせた友部さんに無理を言い、シバさんを紹介していただいたのだ。

言葉がでなかった…。足がふるえた…。そして僕はこの音楽と共に生きようと誓った。ライトニン・ホプキンスをさらにテクニカルにしたギター。無頼漢なイメージそのままのボーカルスタイル。すべてが魅力的だった。彼こそがギターヒーロだった。そして僕は始めて本物のブルーズを知った。僕にとってのクロスロードは、渋谷にあったんだ。

それから既に20年近くの時間が過ぎた。僕は今でもブルーズが大好きだ。異端ではあるが、ブルーズと名のつく音楽もやっている。ブルーズを通じて知り合えた友だちもいる。ブルーズをテーマにした芝居もやった。さぁ、ブルーズさん。明日の朝も、僕の部屋の玄関をノックしておくれ。 2002年、年末。

※この文章はジョニィ&ブレンダホームページに掲出されていたものを、Tsugeが加筆修正したものです。
  
 
2003/02/07
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