ギターと私
jun
 
中学の頃、学校に大量のギターが運ばれてきた。一本500円の白いギターだった。いかにも雑な木工細工のようで、まともなのは何本かに1本だったが、当時の私にとって、初めてのギターでうれしかった思いが残っている。初心者で、チューニングは何時間かけても完全に合ったことがなかったが、今から思うと元々合わないギターだったのかもしれない。

2年ぐらい騙し騙しに使っていたが、いよいよ調子が悪くなり、手放した。少し時間を要したがヤマハのギターをやっと手に入れた。数万円のピカピカのギターは少し眩しかった。その頃、かぐや姫再結成で盛り上っていたが、生来根気が続かないのかまともに弾けるまでにはならなかった。Martinとオベーションアダマスが席捲していた。

上京し一人住まいの学生生活になったが、明日の飯も少し危ない毎日でも、いつもそばにあるギターが穏やかな気持ちにさせてくれたような気がする。

なんとか入社してまもなく、1か月くらいの厳しい集合研修があり、4人部屋に詰めることになったが、狭いベットにギターを抱えて寝ていた。あまり弾いて騒がなかったので、問題にならなかった。その頃はなんとなく気が合わない同僚を前に、"落陽"を歌ったことがあったが、ふ〜んという感じで聴いていたシーンがまだ鮮明に記憶に残っている。

入社3年目頃に、憧れだったMartinをお茶の水の楽器店で買った。D35、確か円高で比較的値段がこなれていた頃だった。将来本気でギターをやり始めたときのためにと思い、ものすごく気持ちに勢いをつけて狙っていた店に突入した。いろいろなギターを弾き比べる余裕など全く無く、展示されていたギターをろくに試奏しないで決めると、店員さんから新しく入った在庫が他にありますからと勧められ、そのまま購入した。

家に持ち帰りケースを開けると、部屋中に木の香りが漂い、しばらくギターにさわれず、ずっと眺めていた。とても自分が弾くのは恐れ多いような高揚した気持ちで、実際、ろくに弾けずにしまってしまった。今から思うと、何と可哀想なことをしたのだろうかと思う。

結婚し、家内とは好きな音楽のジャンルが全く違うことや狭い集合住宅住まいで、2本のギターはずっと実家に保管したままとなった。40才の大台にのり、世間のアコースティックギターブームにも煽られて、Martin2本目となるOサイズのギターを手に入れた。

Oサイズ所以から、茶の間でも時々静かに弾けるようになり、ギターへの思いが再燃したころ、"Martin Guitar Freaks"を知った。"柏新星堂ライブ"を見学し、後日"練習会"に参加した。オフ会なるものへの参加は全く初めて、メンバーの方はうまい人ばかり、私はほとんどギター初心者、という状況のなか、ライブで見かけた方を前にして、トップバッターで一曲歌わせてもらった。無我夢中だったが、私にとって大きな一歩になったような気がする。

いろいろなギターを弾かせてもらっているうちに、手元のギターが短期間に増えた。子供の頃は想像もできなかった、目も眩むようなギターに囲まれる暮らしが実現された。あとは、当時とても無理だと思っていたくらい自在にギターを弾けるように、練習を付き合いを続けていきたい。

長い眠りから醒めたD35は、少し枯れた香りを発しながら、ゆっくりと時間を取り戻すように、機嫌よく鳴っている。

私のギター人生も、まだまだこれから。

2003/03/07
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