2004年6月29日
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「ウクレレでフォークソング」
 
(ふくすけ/46歳/埼玉)
 

 ボランティア仲間で花見をやった時、宴席にフォークソングの歌集とウクレレを持ち込んだところ、音楽好きの奴がいて、「飲み食いしながらフォークソングを歌う会をやろう」という話に…。それが3年前の4月。勤めている会社も所属している団体も年齢も、そして音楽の経験も好き嫌いもバラバラの数人が集まって、歌本をめくりながら歌った。思っていたよりも、楽しかった。メンバーの中に中学生で「フォークジャンボリー」を見に行っていた「先輩」がいて、古い歌もずいぶん教えてもらった。

 その2ヶ月後、勤めている地元の商店会から、最寄駅の構内で演奏しないかとの話。無茶と思いつつ仲間に相談すると「やろう」って話に。わずか2回の練習で臨んだ本番は、プロの唄者(沖縄民謡の歌い手)に助けられて、なんとか最後までたどり着くことができた。初めての人前での緊張と興奮、そして打ち上げで飲むビール。これはクセになるなぁと思った。

 その頃ではないかしらん、巷でも再び古いフォークソングが注目されはじめたのは。それから青少年や高齢者、障害者施設、NPOやボランティア団体などの様々な催し物のお賑やかしに呼んでいただいて歌わせてもらった。

 こんな私らの「演騒」にも、足を止めて耳を傾けてくれる人たちがいることを知る。そういう人たちと一緒に、自分たちの世代の歌を、大きな声で歌っていた。メンバーの何人かが手話講座に参加した時、打ち上げの席でフォークソングの話をしていたら、講座の助手をなさっていた女性が興味を示してくれた。彼女は中学生の頃までは聞こえていたらしく、フォークソングが大好きだったそうだ。青春のひとコマが懐かしく蘇ってきのだそうだ。それから彼女はメンバーになり、「手」でフォークソングを歌い始めた。

 私なんぞは、詞の意味もよく考えずに、単にかっこいいとか、好きだからで歌ってきた。しかし彼女は、「イムジン河」や沖縄の歌の歌詞の重さを、手話で表現しようとしてずいぶんと悩んだりしたようだ。

 手話をつけて歌うグループは多いけど、うちはフォークソングが好きで集まった仲間に、たまたま聴こえに障がいのある人がいただけのこと。彼女の手話を見て、何人かの人が手話を覚えようと勉強を始めたり。

これからも、ウクレレを弾いてフォークソングをうたっていきたい
 
 
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