2004年7月4日
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「弾き語り」
 
(のり/40歳/千葉)
 

今でも悔やまれる事。
2003年2月22日の応援団主催?の高石ともやコンサートに行けなかった事。
行きたかったな・・いや無理をすれば行けたのかもしれない。でも行かなかったことが本当に悔やまれる・・・高石ともや・・聴いたことが無かったから・・・

私にとって初めての高石ともやの歌声は当日の模様を収録したビデオテープから流れてきた。淡々と語られる話が自然に歌へつながって行く。高石さんの思いが見えてくる。
コンサートを中心になって企画した東田さんから送られてきたビデオは見所をピックアップした手作りビデオではあるが十分に雰囲気は伝わってきた。
私にとって本当にカルチャーショックを受けた素晴らしいコンサートだったと思う。

「弾き語り」という言葉はギターを弾く人の間ではわりと簡単に使われる。
近所の飲み屋で「なんか弾き語りやってよ」なんていわれる事もある。
もちろん私がギターを弾き始めた30年ほど前にも既にあった言葉だ。

ギターを手にして自分で演奏して歌うことを「弾き語り」と解釈していた。
というより何の疑問も持たなかった。

弾いてる人は沢山いる。語っている人も沢山います。
でも「弾き語り」をしている人ってそう多くはいないと思った。
自分が中年と呼ばれるこの歳になるまでわからなかった。

戦争や平和について語っても平和な時代に育った私にとってはあまりピンと来る事って正直な所は無かったと思う。でも高石さんの語り、メロディが重なることによって本質が伝わる・・・というか共感できたり自分なりに吸収できるものになる。これが「弾き語り」なんだなと感じた。

以来、それがたとえ素人のステージであろうが人の歌を聴くスタイルが変わった。
歌やギターのレベルじゃなくて、その人の考え方や伝えたいメッセージ等が垣間見えてくることが楽しみでもある。またそれを探ってみたい。

なぜその歌を今歌いたいのか、なぜその演奏を聴かせたいのか。
その歌、演奏の裏にはどんな思惑があるのか。

歌とMCのステージではなく「弾き語り」が出来るようになれたらいいなと思う。
思いを探ってもらえる弾き語り・・・やってみたいもんだよな・・・
そんなことを考えながらパタータで飲むビールは格別である。

 
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