2004年10月2日
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「今日までそして明日から」
 
(だんべえ/46歳/群馬)


中学一年で「フォークソングを弾き語りしたい」という理由で一万円のギターを購入した。

岡林信康の「山谷ブルース」のハマリングが格好良くてまずアルペジオの練習をした。次に吉田拓郎の「今日までそして明日から」でカーターファミリー奏法を覚えた。泉谷しげるやRCサクセッションの打楽器的ストロークを真似したこともある。

TBSラジオのヤングスタジオラブやヤングタウン東京、丸井フォークタウンは、日本初の画期的新製品!アイワのラジカセでよくエアチェックした。映りの悪いTVKのヤングインパルスはお宝の宝庫で、テレビのイヤホンジャックから録音した。(これ、ビデオで販売してくれないかなあ。)

吉田拓郎、小室等、なぎらけんいち、加川良等の歌ものの中で、彼らの弾く間奏が素晴らしく、真似をしている内に、間奏だけでなく、歌なしでメロディーをギターで弾くようになった。これが私のソロギター、インストの目覚めである。昭和47年前後だろうか。フォークのみならず、童謡、唱歌、アグネスチャン(笑)などを自分なりにソロアレンジして楽しんでいたものだ。

当時、小室等の教則レコードを手に入れ、アルペジオやスリーフィンガーの練習にとても役に立った。後に同様の教則レコードで原茂のものを手に入れ、その中の「アンジー」にノックアウトされた。

また、FEN(米軍極東放送)でかっこいいインストを偶然聴き、それがドックワトソンと言う盲目のギタリストの演奏と知り彼に興味を覚え、そこから更にブルーグラスの存在を知った。今度は、クラレンスやトニーライス達にはまり、毎日の食費を削りながら彼らのLPを購入した。

ヤングギターにバートヤンシュ、ジョンレンボーンなどが紹介され、アイリッシュにも興味を持ったのもこの頃である。

当時お茶の水にある予備校に2年間通っていたため、毎日ディスクユニオンに顔を出しては、ブルーグラスとフォークのLPを眺め、石橋楽器に展示してあったヘリンボーンD28をため息をつきながら眺めていた。

大学時代は少林寺拳法にのめり込んでいたため、以前ほどギターは弾かなくなっていたが、中川イサトの「1310」でインストに再度目覚め、大学祭で「OPUS1310」などを演奏したが、一部の人にしか受けなかったような(笑)

社会人になってからは、しばらく寝る時間さえろくにとれなかったためギターから離れていたが、ここ二年くらいでやっと時間がとれるようになり、ギターを再開した。

知らぬ間に多くのメーカー、個人製作家のギターが出現し、奏法や曲の難易度も多様化していて驚愕した。アンジーやブラックマウンテンラグで達人扱いされた時代は遠い昔・・・・。

その後、増えたレパートリーより増えたギターの数の方が多いという情けない状態だが、あせらず日々研鑽するつもりである


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