2004年12月1日
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「私にとってのギター、そして出会い」
 
(bun96/40歳/兵庫)


私がギターを始めるきっかけとなったのは、高校1年の音楽の授業でフォークギターを弾く課題があり、それからです。二人に1台ヤマハ(FG−150)のフォークギターを貸してもらい「恋は水色」を課題曲として練習をしました。音楽の先生が美人でしたし、初めて触るギターとその音色に夢中になったのを覚えています。それに二人組になった人(クラスはすべて男)は、クラシックギターをしており既にギターは弾けるので、私がそのギターを独占していました。

中学の時に、文化祭でギターを弾いていた友人が女子にもてていたので、ギターを弾けば私も、もてるのではないかと思い、それならば自分のギターがどうしても欲しくなり、母に頼み込んで高校1年の夏にギターを買ってもらいました。
ただ、弾けなくてすぐに止めてしまう可能性が非常に高かった私はその当時一番安いギターを買ってもらいました。東海楽器のCat's Eyes CE-150(1万5千円)でした。そして夏休み間、毎日教則本でギターを練習しました。夏休みの宿題は全くせずに・・・・・・・

クラスの友人とフォーク(その当時はニューミュージックと呼んでいた気がします。)のグループを組んで色々とコピーをしました。(松山千春、さだまさし、長渕剛等)高校の文化祭の舞台で人前で演奏したいとそれぞれが言い出し、先生に相談したら個人参加は認められない。クラブ活動での参加なら出演してもよいと言われ、フォークソング同好会なるものを作り部員を募ったところ、10名ほどが集まりました。

放課後教室で練習するのですが、誰もが高価なギターを持っているのです。モーリスの10万円の唐草模様のインレイの入ったもの(堀内孝雄モデル)や谷村新司が持っていたモデルの10万円のギター、ヤマハのL−8、モーリスのトルネード(10万円)等々、又ええ音がしてます。ボリュームと音の大きさ・高低音の響きなど、私の1万5千円のギターとは比べものになりません。

そこで、高校では禁止されていたアルバイトをして(友達も誘い)、それぞれ5万円を稼いでアリスが「チャンピオン」で弾いていたギター(ギブソンのエバリー・ブラザーズのコピーモデル)を色違いで買ったのですが、まるでええ音がしませんでした ガックリ。またバイトして今度は6弦ギターでなく、12弦ギターを買いました。そんなこんなでギター中心の高校生活でした。

社会人になり高校の時のようなギター中心の生活から遠ざかり、たまにつま弾く程度でいました。仕事の出張で福井県の美浜町(夏場、海水浴でにぎわう所)に行くことになり、その時、ギターを持っていき、暇な時間浜辺でギターつま弾いていると、私が泊まっている民宿でバイトをしている女の子二人が来て、ギターを聞かせて欲しいと言うのです。初めてギターでもてた様に思って、舞い上がった気がしました。後で聞いてみると、ただギターが珍しかっただけのようでした ガックリ。今、その内の女の子の一人が私の家に16年居ます。

それからは、特に出張が多い仕事で全くギターからは遠ざかり、日々の生活に追われる毎日でした。ところが、出張の仕事から会社の中の仕事に変わり、同僚と話をしているとお互いギターを弾く事を知り、たまにはギターの弦でも買って弾いて見ようかと言うことになり、姫路のビンテージギター専門店PALへふらっと入ってみると、憧れのマーチン・ギブソン・ギルド等々所狭しと並んで居るではありませんか、それも昔ならガラスケースの中にあり手に取ることさえ出来なかったギターが、床のギタースタンドにちょこっと置いてあるではないですか、びっくりするばかりでした。

その店のソファーで50歳位のおじさんが、あこがれのマーチンD−45を弾いているのです。それも弾き語りでなくギターのソロ(インスト)でラグタイムとかブルースをさり気なく弾くのです。かっこいい。それまでギターは歌の伴奏程度でしか思っていなかった私には、衝撃的でした。そのおじさんが中川イサトさんのインストラクションビデオに収録されている曲を弾いてくれて、ものすごく感動しました。

店を出るときには同僚と、そのビデオと弦一箱を手にしていました。それからは、中川イサト 、岡崎倫典 、小松原俊などのCDを買いあさり、譜面(TAB譜)を探し回り、練習をしていましたが、上達しません。上達はしない代わりにインスト用のギターが欲しくなり(良いギターならうまくなれるような気がして・・・)丹波の田舎の楽器店でタカミネのTSS-30を買いました。

その楽器店の客たちでギターのソロのクラブを作る事になり、それに参加しましたが、色んなスタイルのギターを弾かれる方々でカルチャーショックの連続でした。クラシック、演歌、フラメンコ、アコースティック等々、大変個性的なメンバーで、年齢もその当時小学生から70歳の方までいました。年に1〜2回そのクラブで行う演奏会で人前でも弾けるようにがんばろうと、月1回の練習会も行ってきました。(この頃はサボっていますが・・・)

そうこうしている内にギターの数も増えてきて、今では20本程度になりました。
(一番最初に買ってもらった1万5千円のギターも手放さずに所有してます。)
プロのギターリストが弾いているギターが次々と欲しくなり、そのギターで弾くとプロのようにうまく弾けるのではないかと思ってしまうのです。
CDのこの音はこのギターでないと出ないとか・・・・・ほとんど病的な状態です。

そうこうしている内に東田さんと知り合い、高石友也さんを丹波の森に呼ばれたときに出演させてもらい、それをきっかけに「戦うオヤジの応援団」に入会させて頂きました。

取り留めのない事をだらだらと記載いたしましたが、ギターを通じて色んな方々と出会えた(妻も含めて)ことは、私にとってギターと同様に宝物のように思えます。



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