2004年12月19日
<エッセイ一覧へ>

「Guitarと私」
 
(K森/47歳/神奈川)
 


T 中津川の夏
1971年夏。母の実家で中2の私は6歳年上のいとこの部屋で1枚のLPに聞惚れていた。
<URC「高田渡/赤い風船」>

広島に戻り、貯金の1万円でガットギターを買った。
中津川で全日本フォーク・ジャンボリー2が開催されたことを知ったのは、その年の秋だった。

U 1971年秋広島商科大学学園祭
   (注)同大学は吉田拓郎の出身校。
10月末、広島市内に流れる太田川沿道を、吉田拓郎の唄を聴くのに遅れまいと、懸命に走った。
LP「ともだち」収録の数曲を終えた後に、「10.21 国際反戦Day・・・云々」と叫んだ拓郎に強度のカルチャー・ショックを受けた。
そして、そこで初めて見たJ−45にはそれ以上の・・・。
(注)ドノヴァンみたいなギターが欲しいと加藤和彦さんに頼んで拓郎が入手した(といわれていた)ギター。

V 東京へやってきた
広島で入学した高校を1学期で転校した。
吉祥寺に近い。やったぜ!!
井の頭公園。ぐあらん堂もある。
喫茶店では金子光晴を見た。
高田渡に会えるかもしれない。

W FG2000との出会い
1972年、夏期講習のため、御茶ノ水の予備校に通っているとき、I橋楽器やK瀬楽器で初めて、小室等のマーチン、加川良のマスター、拓郎のJ45と同じギターに出会った。
いつも顔を出しているうちに、「試弾きしてみたら」と言われたときの喜びは忘れられない。

が、結局、高校時のバイト代は、YAMAHAのFG2000になった。
当時D18が18万円、J45が15万円と記憶しているが、友人から紹介をうけた池袋YAMAHAの方の「グランドピアノの素材だよ」の一言で、浜松町からモノレールで国際流通センターのYAMAHA倉庫に行って、在庫中の3本からこれぞ!!の一品を選んだのである。

X そして今は
先日、K瀬楽器で30年を経過して初めてのメンテナンスをしていただきました。K瀬さんはとっても暖かい方で商売っ気がまったくなく、糸巻きの調子が悪いところを、「できるだけあるがままがいいですよね」といって調整いただいたので消費税込3,000円で終了しました。いやあ、ほんとにまったく違うんですね。感激しました。
浜田さんのライブにはいけませんでしたが、何とか近い機会に参上したいと思っています。


 
エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→