2005年2月19日
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「変則folk体験☆女学生編」
 
(じんべ/?歳/千葉)
 

 古い写真はセピア色……

 頭ん中の思い出も、時経れば淡く色調を変えるのかなぁ。冬の光の淡さが思い出とダブるのか、それとも応援団で、重厚なオヤジ達の秘めたる柔らかさにふれるせいか、この頃しきりと多感な時代が蘇る。

 女ばかりの高校に過ごした……

 いちおう県立で男女共学だったんだけど、前身がバリバリ良妻賢母教育の高等女学校じゃあ、入ってこないよね、男の子。男子トイレもなかったもんなぁ。どうしようもなく幼くみえた同級生の男の子達が、りりしい青年に変わる瞬間を見逃したのは残念。でも、けっこう楽しかったよ。一途で、独特で、ちょっと宝塚のりで下級生からラブレターもらったりもしてね。

 頭の上では、大学紛争の火が燃えていた……

 先生方は神経質になっていて、集会・結社、とんでもない。ギターなんて、そりゃもう不良ですよ。とはいうものの当の生徒達は、かなり冷めた目でみていたように思う。大学紛争? 所詮、脛かじりの学生の身分ですることなんてプレ社会体験、ごっこ遊びのおままごとでしょ!? せめて自分一人養える力を早くおつけよ。第一、壊した後に組み立てる知恵も力もないのなら、暴れないでよね。なんて……

 けれども、時同じく……

 続々と生まれてくる草創期のfolk-songはビンビン届いていた。拙いけれどみずみずしい、時代の言葉としてね。自分の生まれ出た世界の隅々まで、知りうる唯一の手段であるかのように、言葉に耳を澄ませていた時だから。folk-songも、近代・現代詩も、戦争報道に責任を感じでひとり野に下ったジャーナリストむのたけじの『詞集たいまつ』なんてのも、そりゃもう一緒くただったけど。

 あの頃のfolk-song……

 漠然とした青春という季節、恋ゆる思い、そして主張……、有形無形に、おしなべて敗戦の影もあったよね。ねえオヤジ達、うたは時代の言葉でしょ!? ひとの形成期に沁みたうたというのは、骨肉の一部となっているのかもしれないねぇ。そして、何度も蘇る。今、オヤジ達のうたをきくことが心地いい。見逃したはずの、少年が、青年や大人に変わる瞬間を、逆フラッシュで見たりもする。

 アハハ、なあんて、ちっともギターが弾けるようにならない言い訳に変えて、まずはこんな、ひと口上…… 


 
 
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