2008年1月17日
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「音楽と私」
 
(BOM(b)/1968年生/埼玉)


私は、乳児の頃から音楽が好きだったようで「レコードをかけないと、寝ない子だった」とは、故、祖母の談。身近にあった楽器は全ていじくりまわし、レコードプレーヤは分解し車に乗れば大声でアニソンを歌うような子供だった私ですが、おぢさんになった今も、殆ど変わっていません(笑)。

ギターとの出会いは、小5の頃。友人兄が持っていたギターを勝手に借り、ソングブックを見ながらコードを覚え松山千春さん、長淵剛さんなどを弾いていました。卒業にあたり、合奏or合唱のどちらかを選び、ご父兄の方々に披露する機会があった時、(歌も好きでしたが)迷わず合奏を選択、当時の図工教諭がドラムスをやっていた事があり、また、お金持ちの友人兄が、使っていないドラムセット(ラディックでした!)を持っていた事もあり、担当楽器はドラムスになりました。セッティングの仕方も分らず、図工教諭に教えてもらったのですが、セットに座っていきなり、エイトビートが叩けました。

ここからが私の勘違い人生の始まり(笑)、神童と謳われ持て囃され、気がつけばギターは弾かずにドラムス道へ…。ここから25歳あたりまで、一通りのジャンルを通るバンド人生、DTMにて作曲やアレンジの仕事、その後アイドル全盛の音楽業界に辟易、音楽活動はプッツリと絶ちました。

結婚して子供が産まれ、自分がこの子に伝えてあげられるものは何だろうと考えやはり音楽、殊更生楽器の音色の美しさを教えてあげられたら…と、再びギターを手にしたのが、34歳の時でした。子供と一緒に歌おうと手にしたアコギ(最初はサイレントギターでした)でしたが押尾コータローという、運命のソロギタリストに出会い、そこからはリンテンさんや岸辺さんなど、ソロギターの虜となりました。

私にとって音楽とは、いわゆる“趣味”で片付くものではありません。水であり、空気であり、生活そのものです。現在はもちろんアコギ一辺倒の私ですが、行けるチャンスがあるコンサートにはジャンルに拘らず向かいますし、ガレージパンクのCDも買います(笑)。音楽やギターを楽しめる環境である事を、本当に幸福に思いますし、その幸福感は生活に反映されるという、好循環になっています。とりわけアコギの音は、魂を揺さぶられるような不思議な力がありますね。

ネットでの出会いから、応援団の団員さん数名とも親しくなることができ、ますます私のギターライフが拡がっており、嬉しい限りです。これからの私は、家族やギターと共に歩む人生となるでしょう。音楽に触れる喜びを忘れず、高級ギターを所有する事に、ではなく弾いた音に喜びを感じる、生涯一プレーヤーでありたいと思っています。団員の諸先輩方には言わずもがな、でしょうが(笑)。

皆様の輝かしいギターライフが続く事を祈りつつ、簡単ではありますが駄文のシメとさせて頂きます。最後までお読み頂き、ありがとうございます。



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