2008年6月11日
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「不思議」
 
(番頭/1955年生/新潟)


 縁というのは不思議なものだ。二十年以上放っておいたギターを、ホコリだらけのギターケースから出したのが三年ほど前のこと。いつも行っている、同級生の経営する割烹に何故かギターが置いてあり、店を仕舞った後に歌いはじめたのが始まり。
 
 その店の主人は、同級生といっても小学校の時に同じクラスになった程度で、それほど付き合いがあった訳でもない。十年くらい前に私がやっていたレンタルビデオ店に、たまたま来た彼との「オー、久し振り」から何故か付き合いが始まり、それまでは行かなかった彼の店に通い始めた。当初はもっぱら歌うだけでギターは聞き役だったのだが、家でやるには自分でギターを弾くしかないので、二台あった昔のギターを引っ張り出してみた。

 幸いなことに、二台ともネックも反らず無事だったので、さっそく弦を張り替えて弾いてみた。もともとが熱心なギター弾きではなかったので、当然のことながら指は動かずポロンポロンと文字通りつま弾くだけで、三年たった今でもそれは変わらないが、何故かギターは四台に増えてしまった。そんな私が大胆にも「親応」に入ったのは、半年前のある事がきっかけだった。

 その店に通い始めた当時、同級生数人と始めた「町興し」もどきの会があって、定期的に集まってはあーでもないこーでもないとやっていたのだが、たまたま一年半ほど前に「ライブハウス」をやってみたいという話が持ち上がった。相変わらず、店の終わった後に「真夜中のライブ」と称して歌っていたのだが、それを知っていた会の仲間が、「どうせやるなら、もっと人を集めてやろうや」となったのだ。俺たちがこんなに楽しいのだから、そう思う人間が他にもいるはずだという単純な思いから始まり、走り始めて半年後に雲行きが怪しくなり、結局は昨年の暮れに頓挫となってしまった。

 それで諦めれば、よくある話で終わってしまったのだが、しつこい中年オヤジ達は諦められなかった。とりあえず、場所さえあれば何でもいい、どこでも良いからやろうぜということから始まったのが、「畳の上で歌おう会」だった。まだ三回目でしかないが、一緒に楽しもうという人が最初は三十人、場所を変えた二回目は七十人で、これから迎える三回目も七十人ほどになりそうだ。酔ったはずみで始まった私達の活動だが、ゆっくりと楽しみながらやって行こうと思う。嬉しいことに、自分たちの子供ほどの若い子も仲間になってくれている。音楽には何の垣根もないようだ。

 それまで、ほとんど付き合いも無かった同級生たちとの、たまたまの出会いから始まったこの場所を、これからも大事にしていきたいと思う。夢はまだ始まったばかりだ。





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