2009年3月17日
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「ドレッドノートタイプのギターが大好き」
 
(もっちゃん/1955年生/千葉)


まったくもって狭い主観の話しですみません・・。
中学の頃に安いドレッドノートタイプのギターを手にしたのが始まりでした。大学までの間に下手の横好きの類でギターをかき鳴らして練習してました。

初期の頃のフォークソングは、比較的単純なコード進行を用いたアコーステックギターの弾き語りが主流だった気がします。程なくテクニックやアレンジが進化して、奏法のバリエーションも豊かになり、私も夢中になっていくつかの曲のコピーを試みたものです。内容もメッセージ性を持ったものから徐々に大衆を意識した、より華やかな曲が徐々に多くなっていったような気がします。残念ながらそれでもやがてブームは下火になっていきます・・。もちろんその間もたくさんの名曲が生まれました。

私も社会人になり、仕事に没頭せざるを得なかったこともあり、以降はだんだんとギターを弾く興味も失せていきました。その時期、手もとにあったギターは使い倒したキズだらけのドレッドノートタイプのS.yairi YD-304と、就職記念に無理して買ったけど殆んど弾かなかったYD-308でした。

YD-304は1オクターブ下げたぐらいのチューニングのままケースに入れもせず、弦がサビようが、ただ部屋の隅っこに立て掛けて部屋の飾りにしてました。何故か部屋のどこかにドレッドノートタイプのギターの影がないと落ち着けなかったように思います。引っ越そうが30年近く部屋の飾りのために持ち廻っていましたから・・。YD-308も実家の押入れの中に置いたまま存在も忘れていたぐらいです・・。ギターにとっては不遇でした。

50歳を前にした時、ある日突然音の良いMartinのギターがたまらなく欲しくなりました・・。ボケ防止のためになにか指先と脳みそに刺激はないかと考えていたところ、”楽器やればいいんじゃない・・?→やはりギター・・?→そういえばいつかはMartinだったな・・?”という潜在的な意識が持ち上がったわけです。それからほぼ毎週末納得の音がするギターを探すための楽しみであちこち歩きました。そのうちどうやら私のギターの好みは、音はもとよりギターのかたちがまず優先されるというのに気づいたのです。

絶対的にドレッドノートのタイプなのだと刷り込まれていたみたいなのです。その時他のタイプのギターがどんなに好みの良い音がしても、どうしても購買意欲が湧かなかったのです。フォークソングブームでは無意識にギター≒ドレッドノートタイプのギターという印象を植え付けられていたせいかしらん・・。確かに当時のカリスマミュージシャンたちはドレッドノートタイプのギターを抱え、ブルースハープとホルダーを首に下げてステージしていたような・・。後に幸いMartinのドレッドノートタイプのなかにも好みの良い音がする個体をみつけることができました・・。

結局現在私は、ドレッドノートタイプのMartin4台と5台の古いS,yairiを持つに至っております。家内からは冷たい目で時々睨まれます。しかし当の本人は大変気持ち良く過ごしてます。こんどは弾くために常に1台は部屋の隅っこにドレッドノートのギターを立て掛け、気が向いたら、動きが鈍くなった指と相談しながらポローンジャララーンと、たまにヘンな音を出しながらも爪弾いています。まっ、いっか!




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