2010年1月5日
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「日曜日の出来事」
 
(こおろぎ会代表/1955年生/長野)


 先日の日曜日の事、息子と二人で実家の山へ出かけた。たいした山じゃない、小さな一洞、小さな林。

 息子とは、僕と彼の母親が離婚したこともあって彼が幼稚園の頃から中学生になるまで会えない時があった。そんな家庭環境の中、彼は僕が若い頃親しんだラグビーに熱中し、ラグビースクールで楕円形のボールを追いかけた。そして知ってか知らずかやっぱり僕が大好きだったギターをいつしか手に取るようになっていた。今、彼は地元では少しは名の通った一端のギター弾きに…。音楽に熱中しすぎたためか、進学とか一流企業とかとは程遠い人生を送りはじめている。良かったのか、悪かったのか…。    

 車を停めて二人で山に入る「確かこの辺りは30年ほど前までは桑畑だったんだ、そしてこの辺りはお前のずっと昔の先祖様が切り開き水田にしたんだ、俺も中学生の頃までは毎年稲刈りを手伝わされたもんだ…今はすっかり木が生い茂ったけど」なんて偉そうに息子に伝えた。しかし中学生の頃以来ろくに家の手伝いもしていなかった僕は、40年という年月ですっかり記憶が薄れていたんだ。そういえば僕が調度息子位の25〜26歳の頃、親父が同じようにこうやって一緒に山を歩きながら隣との境界線を教えてくれた、なんて30年前の出来事を懐かしく思いながら車へ戻る。っと、その時、滅多に人や車など通らないこの山道を走って来るバイクの老人…そう、息子の祖父さん、僕の親父。こんな事ってあるんだね。偶然なんだけど、でもこれってきっと神様が余りにいい加減だった僕を見兼ねて仕組んでくれた素敵な偶然。今度は三人でもう一度山の中へ、ずっと昔の先祖様が開拓したと思っていた水田、実は親父が今の息子より若い頃、一輪車押して作ったんだって。境界線も僕が息子に教えたのは少し間違ってた。息子よ、よかったな、お前のいい加減な親父のせいで危うく山が小さくなるとこだった、よかった、息子に危うく間違った歴史を伝えてしまうとこだった。

 今僕らは「こおろぎ会」というファミリーバンドで週末を楽しんでいる。メンバーは私と息子、そして彼の姉、そして彼とは母が異なる下の娘の4人。レパートリーは僕が30年以上前に作った曲がほとんど。色々あった、でも僕にとっては人生のなかで今が一番最高。
ステージでは息子はいつも僕の右側でギターを弾く。時折モニターから返ってくるコーラスの声、俺の声?息子の声?、どっちがどっち?

 実は僕の声、昔から親父の声に似ているとよく言われていた…。





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