2010年7月18日
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「最近、ギターを弾きながら思うこと」
 
(義太朗-guitaro-/1963年生/埼玉)


人前でギターを弾くようになって、もう何年たつだろうか。
かつて遠い昔の学生時代、プロのギタリストになりたいと一度は夢見たこともあった。
まぁだいたい誰しも一度ぐらいは、そんな淡い夢を抱くことがあるだろう。

そのころ、とあるスタジオミュージシャンとの出会いがあり、プロの世界とはどのようなものか?本当にギターが好きならプロにはなるな等々、色気づいていた私を冷静にいろいろと説得してくれて、私は結局プロになることは断念したのだが、素人の趣味と割り切ったら急にギターが上達した。
不思議なものである。今思えばその時の選択は正解だったと思っている。そのスタジオミュージシャンとの出会いには今も感謝している。

さて、そんな素人が趣味でギターを弾いているだけだけど、最近、ギターを弾きながら思うことがある。人前でギターを弾くのに、自分として心掛けておきたいことができたのである。

ギターの弦をかき鳴らしてみよう。はじめは大きな音がするが徐々に音は小さくなり、いずれ音は消えてなくなる。バイオリンなどの擦弦楽器と違い、ギターのような弾弦楽器は、音が減衰するだけで、<のマークのように弾いた後に音を増幅させるには、エレキのボリュームを上げるぐらいしかないのである。

つまり、アコースティックギターの音は消えモノであるということに気がついた。
自分が出した音は、聞き手にとっても自分にとっても出した瞬間から消えてなくなるまでのわずかな時間の一期一会な音だということである。

その1音1音に想いを込めて、弾いた音をつなぎ合わせ、重ね合わせることで、弾き手と聞き手を一期一会な音でつないでいるのである。歌モノでもインストでも、自分が発した音は、その空間に放たれ、聞き手の体を通ってやがては消えていってしまう。録音とも違うその場にいるからこその一期一会。

そこには自分とギターが存在するからこそ、音を発し、自分とギターの存在を示すことができている。
そんなことを思うと、自分が発する音に責任を持つべきだろうと考えるようになった。

楽曲を弾く時に、歌詞の意味、曲の雰囲気、構成や流れを自分なりにイメージし、解釈して、この曲は、この歌はこんな風に弾く、歌うということを組み立てて行き、それを表現する。音の強弱、音の硬軟、そして間合い・・・これらの要素をどのように絡み合わせてその時の自分の気持ちを表現するか?

その想いが込められた音が、聞き手に届いたとき、一期一会の音がたとえその場から消えてなくなってしまったとしても、聞き手の耳に、心の中に、しっかりと自分の奏でた音、歌声が残っていく。

そして、あの演奏がよかった。素敵だった。勇気づけられた。元気が出た。泣けた・・・。いろいろな想いとなって聞き手の心に残っていく。自分がこの場所で、目の前にいる聞き手と出会い、その聞き手に向かって奏でた音に意味と責任が出てくるのである。

だからこそ、自分が自分の奏でた一期一会の音に託した想いを確実に伝えるために、私は日々、ギターの弾き方、表現の仕方を研究している。最近、ギターを弾きながら、そんなことを思っている。





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