2010年11月15日
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「シークレット・ボックス」
 
(ジュンダ/1958年生/静岡)


 この歳になると、つい口に出てしまうのは「最近の音楽(唄)は、全然覚えられないなぁ。」というフレーズ。たまに心の琴線に触れるメロディーに出会うことはあっても、ほとんどの曲は右から左へ抜けてしまって、心にとどまるのはほんの僅かで、たとえば高校時代と比べればその差は歴然としている。それだけ感性が鈍化しているといえばそれまでだけれど、それにしても、若い頃は聞く曲、聞く曲がどんどん頭に入ってきて、不思議なことに、こんなに忘れっぽくなった今でも、割とキッチリ覚えてる。

 記憶と言うものは、単にひとつの事柄を覚えているというのではなく、その時の情景、感情などが密接に絡み合って構成されているもので、たとえば昔覚えた歌を口ずさめば、あの頃の自分の姿が芋づる式に引き出されてくる。時には、自分ですら忘れていた思い出が、遠い記憶の宝箱の中から現れたりする。まるで音楽は、秘密の宝箱を開ける鍵みたいなものだ。あの多感な時代、様々な感情を無意識の内にもしっかりと心に焼きつけ、それをそっと心の中にある、シークレット・ボックスに保存していたのかもしれない。そして、それをいつの日か開けるための鍵として、たくさんの音楽を記憶の中にとどめてきたのかもしれない。それならば、現在の自分には昔のような記憶保存能力がなくなってしまったのは?心に焼きつけておきたい感情などもはや無くなり、新しいシークレット・ボックス、ましてや、それを開ける鍵など要らないということか・・・。

 老化現象という言葉が心をよぎる。ただ、昔の音楽で飽和した心も、まんざら悪くはないとも思う。これだけたくさんの鍵を持っていれば、退屈することもなく、結構素敵な時間を過ごすことができる。

 今夜もギターを爪弾きながら、いくつかシークレット・ボックスを開けてみようか。





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