2010年11月24日
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「何時も君は傍にいた」
 
(哀愁のタ~ギ/1956年生/香川)


僕は三十七歳で、その時ボーイングのシートに座ってた。
そう言えば、あの日もこんな始まりだった。
唐突に 僕を巻き込んで 物語を勝手に始める。
イントロから村上春樹だなぁ。
(12月11日ノルウェーの森公開おめでとうございます!)

そうそう愛しの'77 Martin D-35 シリアルNo,392525の話やったっけ。
サンキューニコニコいいナンバーですね。(因みに愛車Rは335ですが)。
'70 Martin 0-18シリアルNo,281892というのもあります。
K澤楽器さんのネットの写真で一目惚れ(ゴールドのグローバーに惹かれた&ブルーケース)即購入しました。
Martinってなんでこんなに魂を揺さぶるんやろ。
(Larry Carlton ES335のシグネチャーファーストロット手に入れた時もこんな気持ちにならなかった)
Martinって無感動で平静を装うおっさんのハートをなんでくすぐるんやろ。
(’68ストラト手に入れた時もこんな気持ちにならなかった)
今年の夏もいい事なんか無かったなと九月の風に吹かれながら愛しのMartinをポロリ爪弾くと涙もポロリ。
('56 Gibson ES-175でジャージィなフレーズを決めた時も泣けはしなかった)
この前、奈良の遷都祭りに歴史好きの私は吉野の金峰山の仏像見に行き法隆寺行って心斎橋のアメリカ村M木楽器で'70 0-18に一目惚れ。
(オールマホガニーの色白美人)
連れて帰って我が家で弾いた時、これやぁこのトーンが欲しかったんや。
(まんま有山さんの梅田からナンバまでやんか‼)
(ヒスコレ'59 ブラジリアンフレットでマーシャル鳴らした時もこんな気持ちにならなかった)

中学生の時 成績が下がって志望校下げた時もGuitarを弾いてた。
高校生の時大好きだった彼女と別れた時もGuitarを弾いてた。
都会の大学に入学して孤独感に怯えながらGuitarを弾いてた。
働く事とやりたい事、人生の意味や何も解らなくなってた時もGuitarを弾いてた。
娘が産まれた時もGuitarを弾いてた。
大好きだった祖母が死んだ時もGuitarを弾いてた。
娘が都会の学校に行って空になった部屋を見てはGuitarを弾いてた。
脳内出血で病院に運ばれ個室に変わって障害の残る左手で‘83Gibsonチェット アトキンス(エレアコナイロン弦仕様)爪弾き、Cコードが押さえられず、「ナンジャ~これ」と蒼くなった時もある。
あんときゃGuitar弾けない事が病気の怖さ諸々を実感出来ました。
妻が出て行き別居生活になった時もとりあえず、Guitarを弾いてた。
15歳からずぅーとバンド活動してた。(勿論アマチュアですが)
ジャンルもブルーグラスからビッグバンドまで(勿論アマチュアですが)
今は時間が許す限り愛しいMartin抱いてます。
(0-18の抱き心地の良さと言ったら、判るでしょう?)

高校生の時にバンド仲間と一生の内にGibsonかFenderかMartin一本でもイイから購入して一生の宝物にしたいと話したものです。
なにせ1$360円大卒初任給10万円の時代にMarshall1959が確か
788000やったと思います。'72当時レスポール35万ストラト25万、D-28が30万やったかな?(その後オイルショックで価格破壊)
それが今では現存所有でも15本売ったり交換したり延べ25本。
今では、自慢どころか内緒秘密所有ですからねぇ。
こんなに一杯所有する事が幸せか今では疑問に思う事もありますが、幸せに決まってる、あれだけ憧れたんだからと思う事にしてます。
それと1番欲しいGuitarは買わないことにしてます。
欲しい物が無くなるというのは怖くないですか。






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