2011年1月24日
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「人生最後のギターを選ぶ」
 
(TINPANALLEY/1958年生/兵庫)


ギターを弾く。それは音楽を奏でること。
だからギターを選ぶ際には、まず音に注目する。
音楽のジャンルで多少向き不向きもあるし、
弾き手の好みの音というのも確かに存在するが、
私が選ぶ際の基準というのは確立している。
文章で音のことを表現するのは、
食べ物の味を表現するのと同様に難しいが、
ネット上での日記などで説明する際には、
出来る限り伝わるように願いながら書いている。

私は、歯切れの良いカラッとした音よりも、
サスティーンやリバーブが効いて、
教会の礼拝堂で弾いているような響きが好きだ。
自分が目指す音楽の表現に最も近いと思う。
8年前かな? 初めてオヤ応の扉を開いてから、
今日まで様々なギターを弾いてきたが、
その中で最も自分の理想に近い音を出している
今使っているギターには90点の点数を付けた。
つまり、自分の理想の音への満足感としては
90%まで達成してくれていたということだ。
幸運にも、今まで使ってきたギターの、
「道具としての使い易さ」にはとっくの昔に
100点を付けることが出来ていたが、
音にはどうしても「もう少し」の不満があった。
ちなみに外観にはほとんど興味がない。
音さえ気に入れば、他はどうでもいい。
ある時、ある人に「こんな高級ギターなのに
ネックのヒールは継いでいるんですね」と
言われたが、3年も所持していたのに、
言われて初めて知った。そんな程度だ。
また、私のギターの音を聴いた人から、
「弦は何を使っていますか?」というのも
よく尋ねられるが、私が常用している弦は
Martin M-140 という、一番安いものか、
D'Addario EJ-16 という一般的なものだ。
弦に関しては、多少ギターとの相性もあり、
メーカーが替わると「違い」もあるが、
よほどとんでもない粗悪品でない限りは、
基本的に「良し悪し」はほとんど無いと思う。
何に張り替えても、そのギターの良い部分は
全て出ていたからだ。
ギターそのものの個性が強いものほど、
弦を替えても、その本質は揺るがないようだ。
また、今までの経験からはっきり言えるが、
楽器店で10分20分程度試奏しても、
その楽器のことなんて何も分からなかった。
自分がいつも弾いている、自宅の同じ場所で、
1年2年と弾き続けて、初めて色々見えてきた。

私が買うギターは比較的新品が多かったので、
理想とする音が確立されていなかった頃は
楽器店の店頭で、何度も過ちを犯した。
パッと聴いただけで、「良いな」と「思い込み」
買ってしまっていたからだ.
しかし徐々に自分の理想の音が確立されて、
あまりあっちゃこっちゃ手を出さなくなった。
同時に、店に対する信頼も深めていった。
色々な店で色々買っても、最後に自宅で納得して
弾けたギターは、いつも同じ店のものだったのだ。
それに気付いて、その店でしか買わなくなった。

一昨年、大きな病気になって死にかけた。
病名も分からなかった頃から、虫の知らせか
身辺の整理をしていた自分がいた。
趣味で集めたレコードやギターなどを、
大量に売りに出して、身軽になっていった。
あと1ヶ月ほどで、新しいギターが出来上がる。
8年間のギター道楽の末、ようやく自分が求めて
いた理想の音に辿り着けるよう、
徐々にそれに近づけてくれていたその店に、
特殊な仕様でオーダーしたものだ。
出来上がったら、今、使っているギターを下取り
してもらい、人生最後のギターにするつもりだ。
ようやく100点満点のギターが弾ける、
そう思っている。
 
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